産婦人科医として中絶手術をする中で、次第に自身の行為に葛藤を抱き始める。たとえ望まない妊娠や経済的に困難な状況を抱えた中絶であってたとしても赤ちゃんにも生きる権利があるのではないかと菊田は考えるようになった。その問題を解決し胎児の生命を救う為に、菊田は中絶手術を求める女性を説得して思いとどまらせる一方、地元紙に養親を求める広告を掲載し、生まれた赤ちゃんを子宝に恵まれない夫婦に無報酬であっせんするなどした。だが当時は現在の特別養子縁組制度に相当する法律が日本には無かったため、その際にはやむを得ず偽の出生証明書を作成して引き取り手の実子とした。それは実親の戸籍に出生の記載が残らないよう、また養子であるとの記載が戸籍に残らないよう、そして養親が実子のように養子を養育できるように配慮したためだった。 1973年4月のある日、広告を見た毎日新聞の記者が興味を持ち菊田医師に取材をさせてもらえないかと申