「ジャイアン」 心の友 ゲシュタルト崩壊度:★★★★☆ 勝敗:負け 何度も「ジァイアン」と書きそうになりました。 たてかべ和也さんのご冥福をお祈り申し上げます。
「ジャイアン」 心の友 ゲシュタルト崩壊度:★★★★☆ 勝敗:負け 何度も「ジァイアン」と書きそうになりました。 たてかべ和也さんのご冥福をお祈り申し上げます。
以前も書いたと思うんですが、この「たけくまメモ」は、三日以上間隔を空けずに更新することを旨としております。別にそのことで直接お金になるわけではないんですけれども(アフィリエイトがちょっぴり動いたりはしますが)、これ以上間隔を空けてしまうと、そのままズルズル更新しなくなる危険があるんじゃないかと恐れているのですよ。 ブログの世界で四番目にアクセスを集めるのは面白い記事を書く人です。面白さにもいろいろあるわけなんですが、とにかく笑えるとか、読んでためになるとかが基本ですね。「おもしろくてためになる」というのは講談社を創業した野間清治が掲げた社是ですが、明治の奇才出版人宮武外骨のキャッチフレーズ「過激にして愛嬌あり」と同様、娯楽の本質であろうと思います。これについてはいろいろ思うところもあるので、そのうち改めて書きたいと思います。 それで三番目に集めるのが、まめに更新する人。これも、俺みたいに2
ブログ上で「ライブイベント」を展開できる『Convert It Live』 December 8th, 2007 Posted in 便利ツール(ウェブ) Write comment 読者ともっとリアルタイムに交流を楽しみたい・・・。そう考えるブロガーにとって便利そうなのがConvert It Liveだ。 このサイトではブログのエントリー内でリアルタイムチャット&投票を実現する仕組みを提供している。 どちらかというと双方向のチャットというよりは、ブロガーが読者向けにラジオ放送的にテキストをストリーミングする、といったイメージの方が近い。 よくブロガーが「今夜○時からチャットやるよ!」といった告知をしているが、他のサイトに行ってもらうよりは、確かに自分のサイト上で展開できたほうがいいだろう。 もちろんそのようにして行った「ライブ」はあとで再生もできるので、タイミングが合わない人でも擬似的に
Selected Entries 「3人で更新するブログ」の可能性 (12/07) Categories WORKS (594) 講座 (236) game (153) BOOK (373) computer (23) iPhone&iPad (2) MOVIE (48) music (38) News Dig (23) PLAY (136) publication (52) web (20) web game (26) すごいよ! (45) カード (15) ゲームをつくろう (3) ゲーム実習 (14) コックリさん (11) 気になるの (109) 写真 (24) 日々 (128) 萌え発想 (32) Archives August 2017 (1) April 2017 (1) December 2016 (1) November 2016 (1) October 2016 (3)
はてなブックマークは、ブロガーにとって諸刃の剣ですよね。 普通に使っていたら、これほど励みになる事はありません。たくさんの人がブックマークしてくれたという事は、「役に立った、面白かった」と励ましてくれる事、評価してくれる事になり、メチャ励みになります。ブクマはブロガーをモチベーションアップしてくれます。 ブログに限った話ではありませんが成功体験は、私達に「自分がやっている事、自分の能力」に自信を与えてくれます。脳内からドーパミンを発生させる事で、「成功体験を感じた事」を「もっとやろう」と強化してくれます。(学習強化という事) 成功体験は最も協力なモチベーション要因の一つでしょう。ブックマークという成功体験は、私を「明日もブログを書こう」とモチベーションアップしてくれます。意志の弱い私など、ブックマークがなかったら、毎日、ブログが続いていなかったかもしれません。 だけど、普段の時より急激にブ
罵倒コメントを貰いたくないのならブログなど書くな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 そして、私は罵倒コメントを否定はしない。したければすればいいという考えだ。どの様なコメントを貰ったとしても、私は耐えるよ。どちらがどうであるかという判定はそれを見ている者が決めればいい事だ。私は読んだ物に対しての素直な感想をただ綴るだけだからな。だから、私の書いたもので「酷い」と思ったのなら、それを素直に書いて貰っても良い。極端な話、そういう態度が全てのブロガーには必要なのではないかとまでも思っている。 2chスレでもコメント欄でも、ごく数人のアンチが工夫をする事によって何十人もの反対派が居るかのように工作する事は難しい事ではない。それに人間は判断を視覚に頼りすぎている面が有る。ブラウザを使っている時に0クリックもしくは1クリックで見えてしまう場所に罵倒文が見えると、古い時代の感覚によって感情が揺さぶられるというア
かつて文章の書き方は「段落初行一字アキ」が原則であり、すべての印刷物に適用されましたが、ネット文書では約一割しか見あたりません。 まさに絶滅目前ですが、あなたの見解や考察を聞かせてください。 (キーワードは「段落・行頭・一字下げ」で検索できます) 行頭を一文字インデントするというルールがいつごろ制定されたものか判然としないが、明治初期頃までの手書きの文書などを見ると特にインデントされていないようなので、これは印刷による出版に伴う変化と考えられる。恐らくは洋書の文頭大文字に倣ったものか、若しくは原稿用紙の利用により作家が段落を明示する形で出現した表記法ではなかろうか。 印刷物では1行あたりの文字数が規定されているし、見た目で構造化を図る必要があるからこうしたルールは有効だが、文字表示が不定で別の方法により構造化可能なWebに於いては意味がないばかりか、不要な空白文字を含めるのは適切ではない。
前回にひきつづき考えている。 “だれが読んでもわかるように書く”のは、理想や目標としてはありえるけど、ほんとうに、ぼくたちは“だれが読んでもわかるように”書きたいんだろうか? ということについて。 何かを表現するときに「3つの距離」を気にしたりしている。 1つは、自分だ。 自分への距離。 表現するものは、自分に届くだろうか? 本当に自分が表現したいことだろうか? 表現の出発点である自分自身を裏切ってないだろうか? 2つめは、相手だ。 目の前にいる相手。 何かの共同作業なら、スタッフのことだ。 歌を歌っているのなら、その場で聞いている目の前の相手のことだ。 目の前にいる相手は、すぐその場でリアクションを返してくれる。 瞬間瞬間で、表情や言葉で、高速で微細でインタラクティブなやりとりを交わせる。 その相手に届くようにするにはどうすればいいだろうか? 3つめは、世界だ。 目の前にいない相手への距
ブログだって「座の文芸」だ! って前回書いた。 でも、本当言うと、奇妙なねじれを感じる。何だろう。 句会は、誰もが同じ立場で行える(先生がいる場合もあるけど)。 でも、ブログは送り手と受け手がまったく同じ立場、というわけじゃない。 まず、誰に向かって書いているのか、ということだ。読み手は誰なのか? 不特定多数の読み手を想定すること。 ぼくたちは、それに慣れてない。 インターネット以前は、不特定多数の読み手を想定することは、あまりなかった。 本を出版する? テレビに出る? 町内会の壁新聞に何か書く? そういった特別な場合は、あっただろう。 だが、日常的に、自主的な場として、不特定多数の読み手を想定して「書く」ことは無かったはずだ。 本やテレビや壁新聞には、それぞれメディアとしてのルールがある。 送り手も、受け手も、その暗黙のルールにしたがって、活動する。 町内会の壁新聞に、個人的な食事のこと
「うっとりするもので575」は、どうして低調だったのか?をぐるぐる考えていて。 それで、俳句に関する本をいろいろ読んだり。 昨日は、「発想力トレーニング講座」で、俳句について授業をやって、句会もやってみたりしました。 句会ってのは、知らない人は、驚くかもしれないぐらいに、とてもゲームっぽいシステム。 こんなふうに進行します(講座でやった流れで説明しますね)。 【1】出題 テーマが出されます。「夏」とかね。前にやった「銀一」と似ています。まず「懐かしいもので“い”」とか出題されるわけです。 【2】投句 各自が句を書きます。短冊と呼ばれる細長い紙に書きます。えーと、A4の紙を6つぐらいの長細い紙に切って短冊にします。各自は、短冊に、テーマにそった句を書き込みます。自分の名前は書きません。無記名です。誰が書いた句か分からないようにするのがポイントです。 【3】清書 短冊を集めて、全員が読めるよう
日曜コラムです、こんばんは。 少し前のことですが、ジャーナリスト花岡信昭さんのブログにて 炎上騒ぎがありました。 コトの起こりは、花岡さんが「モーニング娘。」の「。」表記のおかしさを 指摘して「日本語の乱れ」の原因としたこと、そこに於いて 「歌もへただし、ダンスもひどい」という挑発的な一文を装飾に加えたことから 始まります。コメント欄は一斉に批判で埋め尽くされることとなりました。 その後の展開は何とも言えない中途半端な状態に向かいます。 前述の6/3の記事で炎上したあと、6/5の記事ですかさずお詫びの記事が 掲載され、6/3の記事からも「歌もへただし、ダンスもひどい」の箇所が 削除されることになりました。ところが、なんと6/6の日経BP社のコラムに 早くも花岡さんが登場し、この炎上の顛末を自ら解説するという行動に出ます。 ■花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「モーニング娘。
前回の「ブログにテーマは必要か?」で、“「テーマ」「スタイル」をちょっと気にしたほうがいい”ということを書いた。 すると。 “確かにあったらいいと思いますが、テーマを考えるだけで精一杯になりブログ開設までにたどり着けない場合もあるので、「自分の興味あること、書いていて楽しいこと」を意識するだけでは駄目でしょうか”ってリアクションをもらった。 いや、駄目じゃない、いい! ブログの良いところは、気楽に始めて、どんどん修正できるところ。 だから、あなたが、いい、と思うスタイルでやっちゃえばOK。 だから、ぱっと思いつきで始めても、ぜんぜんノープロブレムだ。 「ちょっと読者を気にした日記」からの脱却 でも、ときどき、こんなふうな話を聞いたり、相談を受けることがある。 「日記なんて書く気がないから、ブログなんてやらない」 「ブログを始めたけど、つまらない」 「何のために書いているのか、わからなくなっ
突然ですが、皆さんは次のようなコピペを目にしたことがありますか? 何年か前の「朝まで生テレビ」での再現。 その日のテーマは「警察官の拳銃使用について」。 司会の田原総一郎と福島瑞穂の会話。 福島「警察官の拳銃使用は絶対反対。犯罪者と言えども 人権はある訳ですしぃ〜、犯人には傷一つ付けてはいけない。 例え凶器を持った凶悪犯と言えども警察官は丸腰で逮捕に向かうべき」 田原「そんな事して、警察官が殺されたら?」 福島「それは警察官の職務ですしぃ〜〜」 (「ええっ〜」と言う驚きの声がスタジオ中に響き渡る) その声にまずいと思ったか福島が続ける。 福島「それに犯人がそんなに抵抗するんだったら無理して逮捕する 必要は無いと思うんですよぉ〜、逃がしても良い訳ですしぃ〜」 田原「じゃっ、逃がした犯人が別の所でまた人を殺したら?」 福島「それはそれで別の問題ですしぃ〜」 (他のパネリストの「おい、おいっ」と
右の写真は先日、テレビに出たときのようすだ。 すいません、うそです。 テレビ風に加工した写真だ。どうだろう、ちょっとテレビ映像のキャプチャっぽく見えないだろうか。 今回はこのテレビ風の画像を活用してお送りします。お送りする内容は、先週行われたうちの法事。超地味。 普通のイベントをエキサイティングなものにしてみたいと思います!(林 雄司) テレビ風とは テレビを1日見ていて思ったのだがテレビの文字の出し方には以下のような特徴があるようだ。 ・右上にいまなにを伝えているか ・左上に番組タイトル ・色はとにかく目立つ色で ・文字は派手な色つきの文字で白ふちどり ・ただし、ニュースの場合は黒ふちどり(ライター岸川さん情報) ・バラエティはPOP体みたいなフォントが多い 人の名前はこの色、などの法則性はなく、その画面ごとでわかりやすさ重視で作られているようだ。 実践してみることにしよう。これが元画像
これまでの流れ 自分を軸にして書きはじめよう。自分の好きなモノから書いてみよう。そのために、客観的に、自分を見てみるために、「自分マトリクス」と名づけた「自分の好きなものマップ」を書いてみよう。 という流れで進んでいます。 ブログにテーマは必要か? ぶらっとラーメン屋へ行った。 数日後に行ってみたら、スパゲティ屋になっていた。 また行ったら、今度は、高級しゃぶしゃぶ屋になっていた。 次の日は、ゲームセンターになってる。 ってのは、イヤだ。 テイスト、まちまちだ。 値段、まちまちだ。 そんな店には、わざわざ行かない。 テーマやスタイルが明確じゃないブログは、そんな店だ。 そんなブログだと、訪問者は増えてくれない。 テーマなし 本当は「テーマなし」「スタイルなし」でも良い場合もある。 飲食店でたとえれば「いつ行っても、何を出されても、あそこの料理はうまい!」という状態になればいい。 つまり、ど
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