コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール
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これはいわゆるアンチ的な活動に勤しんでいて、自分の好きじゃないハードで出たゲームは全部面白くないことにしたがる人の話じゃありません。何か新作ゲームが発売されたとして、遊ぶ前に、何か面白くなさそうだね、という人の話です。 ユーザーにとって大事な声は、遊んだ人の声 ゲームに対する意見を、遊んだ、遊んでない、面白い、面白くない、の4つで分類すると、「遊んだし、面白かった」、「遊んだけど面白く無かった」、「遊んでないけど面白そう」、「遊んでないけど面白くなさそう」という組み合わせがあります。 ユーザーにとって何が大事かというと、「遊んだし、面白かった」だと思うんですね。まあ、広告宣伝ばっかり派手で、遊んでみたらたしたことない、というゲームを回避するためには「遊んだけど面白く無かった」という声も必要かもしれませんが。ゲームが好きな人であれば、面白くないゲームを買わないことより、面白いゲームを買うこと
「君と僕の関係*1」、というタイトルで、AKB48メンバーブログの“コメント欄”のテキスト分析をしました。 さながら、「ファンレター2.0」、ですよ。すごい世界。ぞくぞく。 きっかけと背景 個人的に、アイドルブログの真骨頂はコメント欄だと思ってて、わりと眺めるのがすきです。甘い愛の言葉も熱い激励の言葉も、クラスの友達かよwってくらい軽くて近くて短すぎるコメントもまぜこぜで、あまりに混沌としていてうっとりします。すてき。距離感がめちゃくちゃ。 今、2011年(データとった当時)のアイドルとファンの関係を知りたくて、ブログの“コメント欄”だけで形態素解析をしました。あっち側の人たちの経営戦略やマネジメントの手腕は誰か偉い人がきっと分析してくれるから、わたしはもっとこっち側の、お祭に加担してる、一緒に踊らされてる人たちのことを知りたい。どんな人がいるんだろう、何を考えているんだろう、どんなことに
2013年01月02日09:00 カテゴリ音楽一般 音楽について「書く」ということ 新年1発目の記事があまりにもアレな内容でしたので(笑)、ちょっと2発目はマジメ路線でいきたいと思います。テーマは音楽と言語。ちょっとデカ過ぎですか(笑) G・トラシュブロス・ゲオルギアーデスによる同名の著作(『音楽と言語 (講談社学術文庫 (1108))』【Amzon で見る】)もありますが。まあでも、全く文献的裏付けのないままに、思いつくままに、あ、アレですね、エッセー的な感じでですね、書きますので。気軽に読んでいただければと思います。 1.「音楽と言語」の関係における問い 音楽について話す、書く。つまり、音楽を言語化という方法で以って記述する。ということ。このことについては現在に限らず、———おそらくは音楽が始まったのとほぼ同時的に———どのようにしてという問いが常につきまとってきたことでしょう。つまり
513 名前:名無しさん@恐縮です 投稿日:2013/01/22(火) 02:12:58.65 ID:PBsChEEw0 (PC) 久住小春はつんくがオーデションの時点で「次世代のエース」と明言し 合格告知にはつんくとメンバー全員がわざわざ新潟まで出向いたほど 鳴り物入りでゴマキ以来のピン加入で入った超エリート待遇のVIPメンバーだ 新加入最初のツアー名もメンバーの名前を初めて冠した「小春ちゃんいらっしゃい」 片や道重さゆみは超絶音痴で顔以外の取り柄がなく歌唱至上主義のハロプロでは後列端に置かれ人気もなくファンの間では常に解雇候補一番手と囁かれていたメンバーだった 久住の教育係というのも大人気ゲームソフトに糞ゲーを抱き合わせで売るように事務所がVIPの傍にくっつけてみただけの意味しかなかった だから久住が教育係の道重を付き人のように扱いこき使ったのもある意味自然なことだった
http://anond.hatelabo.jp/20130322031333 プログラミング出来る方法教えるだって?そんなものは丸めてゴミ箱にでも捨ててしまった方が資源の再利用になる分いくらかマシだ。 こんなタイトルにホイホイと釣られてこんな記事を見に来るような馬鹿を一網打尽にし丸めてゴミ箱へ捨ててやる。 そもそもプログラミングが出来る方法ってなんなんだ? そんなものは存在しない。教えることなど出来ない。何故なら芸術のような創作活動と同じだからだ。 本来プログラミングとは、教えを乞うものではなく、自分の内から捻り出す物なのである。プログラミングが心のそこからできるようになりたいと思う強い気持ち、努力、その結果なのだ。教えるというのは、そこにちょっとした手を差し伸べる程度のことしかできないのだ。 「プログラミング出来ない奴ちょっと来い」という記事タイトルだが、これは間違いである。出来ないや
プログラミング出来る方法教える。 世の中「プログラミング言語」を説く本はごまんとあれど「プログラミング」を説く本やブログはあまりない。 いや実際に "ない" というのはかなり語弊があるかもしれない。 しかし、通常この種の説明している本に辿り着くまでには多くの時間が必要だ。 普通の人は、多くの間違った方法を試し、その都度試行錯誤を重ね、プログラミング経験を経ることよって、重要な概念を獲得するのだと思う。 例えば、「計算機プログラムの構造と解釈」や「実用 Common Lisp」、「コンピュータプログラミングの概念・技法・モデル」などの書籍は現実の問題に対し "プログラム" をどう書くかという問題に正面から取り組んでいる良書だ。 しかし、どれだけ”普通の”プログラマが上記のような書籍を読んでいるのだろうか。 そして、"普通のプログラマ" がプログラミングを学ぶ書籍として、それらは果たして適切と
あったまきた、ほんとあったまきた。 こんなに悲しい思いしたの初めてだよ。 こんなに惨めな気分はもうこりごりだよ。 やっとブログに書けるだけのゲーム数をプレイ出来たので、書くけれど、あったまきたよ。ほんとあったまきた。こんな不条理はないよ。いいか、DOTA2はゲームじゃない。dota allstarsはゲームだ。そして、DOTA2はdota allstarsの完全移植だって触れ込みだった。だから、僕はその宣伝を聞いて、DOTA2もdota allstarsと同じように、ゲームなんだろう、って思ってた。 でも、ゲームじゃなかった。 ビデオゲームなんかじゃなかった。 こんな理不尽が他にあるか?ビデオゲームだと思ってたら、それはソーシャルゲームだった。これは、詐欺だ。完全な詐欺だ。ビデオゲームは冒涜された。こんな事が許されていいのか?許せるわけがないだろ。僕等はビデオゲームにだけに頼って生きてきた
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