「ケミカルと同じや…」。宮城県に着任後、初めて石巻市魚町に立った時、そう思った。 兵庫県知事に就くよりも5年以上も前のことだ。2016年1月24日付朝刊。斎藤元彦は神戸新聞に、このような書き出しの寄稿文を寄せている。当時の肩書は宮城県財政課長。総務省から出向し、2年前から同職に就いていた。 寄稿では、神戸の地で祖父が終戦後、裸一貫でケミカルシューズの製造業を営んできたこと。その家業が阪神・淡路大震災で壊滅的な打撃を受けたこと。東北の被災地の光景が震災直後の神戸と重なって見えたことなどがつづられ、ふるさとへの思いで締めくくられている。 「腰が低くて、礼儀正しい。およそエリート官僚らしからぬフットワークの軽さと、人当たりの良さがあった」 この頃、親交のあった本紙記者はそう振り返る。 斎藤は、職場の総務省から歩いて10分ほど離れた場所にある国会記者会館に、ふらりと顔を出した。報道各社の記者たちと