仕事に人生を捧げる生き方はそんなに賞賛に値することだろうか。 仕事は人生の一部に過ぎない。仕事以外にも大切なことは山ほどある。 仕事人間は仕事しかしていない偏った生き方をした人たちである。そんな人たちを立派だとする考え方は労働至上主義イデオロギーに毒されたものである。 初出 2015/10/14 この国では「仕事一筋」に生きてきた人を賞賛する傾向がある。この手の人たちをメインにしたドキュメンタリー番組やノンフィクションの本が多く世に出ている。多くの需要があるのだ。 僕は天邪鬼である。ひねくれ者である。 「仕事一筋」ということは、仕事以外に何もせず何も考えてこなかっただけじゃないかと言いたくなる。この社会のことを、家族のことをきちんと省みて生きてきたのか、と問いたくなる。 「仕事一筋」の人たちを持ちあげるメンタリティが僕には理解できないし、はっきり言って嫌いである。 このメンタリティは「労働
食べ物の好き嫌いをしてはならないと僕は小学校のときに散々言われた。 僕は給食の時間が苦痛でならなかった。肉類が全くダメでその他にも嫌いな食べ物が多かった。 当時は給食を残すことは許されず、食べられなかったら給食の時間が終わっても食べさせられた。 小学校1年から4年までの担任は柔軟な対応をしてくれたので事なきを得たのであるが、5年生のときの担任が給食を残すことを禁じたので、僕は窮地に追い込まれた。僕は頑強に抵抗したのでついに担任は折れて、特例として僕だけ嫌いなものを残しても良いことになった。このことが僕が不登校になる要因となってしまう。給食を残すな、という同調圧力が僕にのしかかってきたのである。 人の好き嫌いをしてはならない、誰とでも仲良くしなければならないと学校でそう教わる。 こんな教えは非現実的であり、無理な話である。 人と人との関係においては、生理的な好き嫌いもあるし、相性もあるのは当
僕は歳を取るにつれて人付き合いを煩わしく感じるようになってきた。 それでも別条なく生きている。 人付き合いに無駄な精力を注ぐことを止めた方が良いこともある。 初出 2015/9/24 多くの世の人々の悩みの種は人間関係である。 仕事を辞める理由の大半は人間関係の悩みであるし、離婚にしてみても要は人間関係の縺れである。 この厄介な人間関係を少しでも良好にするために僕たちは人付き合いを重視する。 僕はこのブログで何度も人はひとりでは生きていけないと言ってきた。人と人との関わりあいの中で信頼関係が育まれ、それをベースにしてどうにかこうにか人は生きていくことができるとも書いてきた。 当然に人付き合いは大切なものである、という結論に行き着くことになる。 自己啓発系の本やセミナーはいかに人間関係を潤滑にするか、人付き合いをそつなくこなしていくかを説いている。 ちょっと待てよ、と例によって天邪鬼の僕は言
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