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2018年1月15日のブックマーク (2件)

  • 分かち合われない記憶

    おセンチなことはどこに書くのが正解なのかしら。わからないから、試しにここに書いてみよう。 割と言われることかもしれないけれど、記憶というのは共通の記憶であって初めて強化される。 記憶そのものは頭の中にある、という体になっているけれど、不断に想起され記憶し直されることで定着する。定着した記憶はもう物語となってしまって、概念化し、既に生の記憶ではないのだけれど、わたしたちはそういうものを「記憶ということにして」生きている。 だから昔の人たちは、祖先たちの記憶を年に一度の祝祭にして、半ば無理やりにでも忘れないようにしたのだろう。 当の生の記憶が生きる場面というのは驚くほど少ない。 子どもの頃の記憶として思い出されるもののほとんどは、成長の過程で他人視点から聞かされ想起され定着していったものだろう。生の記憶など最初からなく、聞かされた物語を記憶として取り込んでしまったものも多々あるかと思う。 そ

    分かち合われない記憶
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