2021年5月20日のブックマーク (2件)

  • 1998年3月某日の深夜、発泡酒をぶっかける - 想像は終わらない

    区切りをつけるという行為は、とても大事なことだ。 今いる場所、状況、従事している事柄から距離を取り、関わり合いを断つ。それは何かを成し遂げた後でも、中途半端な状態でも構わない。とにもかくにも「終わり」と決めて、さよならするのが重要なのだ。 去年の3月から区切りをつけられない毎日を生きている。でもそれはきっと、私だけではないのだろう。 北国特有の長い冬が終わり、街中いたる所に色が付いて木々も青々としてきた。ひと足先に自然界が衣替えを終えても、人間界に住む私は足踏みしたままだ。 半地下にある職場の窓から気持ちよく晴れた日を見上げていると、さまざまな思いが頭に浮かぶ。喜怒哀楽バランス良く湧いてくるのならこの上ないが、最近はそうもいかない。で頭を満たそうとしても、新しい生活様式へと変わっていく社会への不安が思考を覆う。 好きな音楽をかけても頭に響かない時、私は心に残っている昔の場面を思い返す。そ

    1998年3月某日の深夜、発泡酒をぶっかける - 想像は終わらない
    yoshitakaoka
    yoshitakaoka 2021/05/20
    今でも1998と遊んでいる。
  • 私が夢からさめたら - 幻燈日記帳

    仕事の作曲につかれてリハビリのつもりで別の曲を作り始めたら楽しくなってしまった。(楽しくなってきたついでに「菫画報」を読み返したりしていた。)佐々木敦さんに誘っていただいた文学ムック「ことばと」に書き下ろした「私が夢からさめたら」という歌詞にメロディを乗せようと思ったのだ。そもそもこの「私が夢からさめたら」、お話を頂いたときはもっと先の見えないスランプ中で、そのことを相談した結果、「間に合ったら送ります……」という超消極的な形で返信をしていた。何度か催促されて、もう無理だな、感じて、そのことをメールに打とうとしたとき、急に気持ちが変わってばーっと書いたものだった。少しずつ形づいていって、ここはこうじゃないんだけどな、と何度も歌って体が納得する形に落とし込んでいく。このコード進行じゃ「おれたちはしないよ」と同じじゃん、とか、書いた言葉を全部すくい上げることができなくて、詩先で曲を書く筋肉も衰

    私が夢からさめたら - 幻燈日記帳