こことか2chとか/.とか何でもいいけど匿名のところで他人の意見を否定するときに 「ダウト」ってやる人たちは正直キモい。 実際にやっているのは非常に限られた人数のおっさんだと思っているが。 大体doubtは「間違い」ではなく「疑い」だろうが。 トランプゲームから来ているのは分かるが、 偉そうに言っている割には初歩の英語もわからんのかプギャーって気分になる。
前回恋人との交際経験の無い人の割合(日本)について調べてみたのだが、めんどくさくて性別の計算はしなかったし、日本以外の調査までは目を通していなかった。のでもう一度、内閣府の平成17年度 少子化社会に関する国際意識調査(20代から40代の男女に対して5か国で実施したアンケート)を見てみた。 以下の表が、国別・性別・年代別に見た「恋人との交際経験無し」の人の割合。日本の男子すげえ。マジヤバイ。リスペクト。国性別20代30代40代日本女性7.8%3.0%0.4% 男性23.9%8.7%4.0%韓国女性9.8%-0.6% 男性12.9%4.5%0.7%アメリカ女性1.2%1.1%- 男性7.4%1.8%1.2%スウェーデン女性4.5%1.1%0.6% 男性8.2%1.2%-フランス女性13.1%3.3%1.6% 男性17.1%4.0%2.5% 日本男性、「恋人との交際経験無し」率がすべての年代で調
http://anond.hatelabo.jp/20070924051247 「『ひぐらしのなく頃に』を観ると斧で人をぶった切りたくなる」という因果関係を「科学的に」立証するのは恐らく不可能です。 再現実験が許されるものではないし、だいたい変数が多すぎるため、対象となる変数、つまり『ひぐらし』の有無のみを変えて実験する、というのが不可能です。「斧で人の頭をカチ割る」というのが非常にレアな事象なのも、検証が現実問題として不可能な事に拍車をかけています。 じゃあ規制は無理かというとそんな事は無く、実際いままで人類は「悪影響がありそう」というファジーな感覚で割と色んなものをバシバシと弾いてきました。実際、規制されるべきものというのは数多く存在するわけで、科学的に影響が立証できないから規制しない、というのはあまりにも消極的に過ぎる話です。科学的な方法論を身に付ける事は大事ですが、それは科学的なア
あいかわらず、この国の死刑制度に対する存置世論は強いようで、、、 痛いニュース(ノ∀`)【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1033297.html ブログ主の編集方針が偏ってるって事情を差し引いても「吊るせ吊るせの大合唱」状態。あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか? 気に食わないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。 さてそれにしても、僕にはむしろ悲しみにくれる被害者を救済する手段が「被告の死だけしかない」というこの国の現状こそ問題にすべきだと思える。 刑事裁判の目的が、被害者救済ではなく社会秩序の維持に偏っ
同意する。 プロットのはっきりとしたエログロは、脳内に悪い物語イメージを焼き付けるだけだ。犯罪行為と直接結ばれるかはおいといて、こういう物語の蓄積が人の判断や選択を揺さぶるのだということが分からないオタ層が多い。 しかもスクイズやひぐらしはずっと観ていたが、視覚描写のエログロが際だっているだけで、ドラマとしては平凡すぎる。これ火曜サスペンスじゃね?みたいな脚本。 話題になりやすい記号を詰めまくったという意味で価値は認めるが、もはやそれはサブカルでも何でもないじゃないか。 スクイズやひぐらしは物語としては全然楽しめないし、結局はインターテクスチュアリティの小さな歯車でしかなく、もっぱらオタクが話題にするのもその点だけだよね。 そこらへんの面白くもなんともないバラエティー番組と大して変わらない。 にも関わらず、エログロで脳内汚染とかどんだけー?って話。
修士課程へ進む人は2年間、博士課程へ進む人は5年間、 特定の研究室にお世話になります。 22歳からの数年間は、その後の人生に大きな影響を与えます。 しかし、悲しいことに大学の教授の質はてんでバラバラです。 日本屈指の大学でさえ、電波教授がかなりの割合で存在します。 (電波教授が指すものは、研究能力がなく、それを補うために学生の業績を食い物にしている人です) なるべく、電波教授とは遭遇したくはないものですが、 電波教授を見抜くのは簡単ではありません。 そこで、電波教授の特徴をまとめてみます。 しゃべりが上手い理論が非常に弱い研究室の目標が興味をそそる最近の発表論文に著者名が書かれていない関連分野の研究室と交流が無い比較的新しい分野出張が多い博士課程の学生が多い場合がある 電波教授の武器はしゃべりです。しゃべりによる誤魔化しで生き延びているといっても過言ではありません。 どのような研究をする場
ある下請けゲーム会社に勤めていたんだけど、ある時RPGのゲームが大当たり。2作、3作と回を重ねるごとに大ヒット。 とうとう販売元の看板タイトルにのし上がり、その当時ゲーム機を販売していたSONYやSEGAが「当社にもタイトルを」 と向こうからアプローチするようになった。 その間もそのシリーズは回を重ねるごとに売れていき出すだけで簡単にスマッシュヒットを飛ばす状態になった。 その頃から会社側も増長したのか企画会議でも野心的なシステムは話されなくなり、「まあそこは前作と同じで」という話が増えていくようになる。 自分も「自分がユーザーでこうだったら嬉しいよな」という事やアンケートの要望を下敷きに提案するのだけど、悉く却下。 社長曰く「それはマニアの意見だから」却下なのだそうだ。(このゲームはある程度マニアックな知識がないとできないゲームなのだ) マニアの為のゲームなのにマニアの意見を聞かずに何を
フォローありがとう。 理系文系なんか関係ない。大学だって関係ない。勉強かどうかも関係ない。その辺にいくらでも掘り進んでいきたくなるようなものは転がってる。なんで、理系とか文系とか大学とかそういうちっさいはなしをするのかな。知識だけに絞って語るのかな。 ああ、その辺はあまり気にしないでもらえるとありがたい。舞台裏をバラしてしまうと、読んでほしい人に読んでもらうためには、敢えて話をわかりやすくする必要があるから、それだけのことですよ。そういうツッコミが入れられる人には、既にあの文章は不要なんです。そうでしょ? もっと言ってしまえば、「東大に行った」程度のことで「天才だ」とか「素晴らしい人」と言う風に過剰に持ち上げられる風潮に呆れかえったから、釘をさしてみたかっただけ。あの話は「ライフハック」だの何だのともったいぶった分類をつけてありがたがるような話じゃないでしょ、と。少し考えただけでも、あの先
http://anond.hatelabo.jp/20070702180144 全ての人間には、全く同様に、生きている価値なんか存在しない。当然でしょ。それは1人1人の個人に限らず、全員が均等に価値がない。 だが、それに気付いてしまうと、人間の精神はとてつもなく動揺し、混乱し、錯乱するので、全ての人がそこから目を背け、自分に自分は価値のある人間だと言い聞かせるのに必死になっている。ある人(主に男)は仕事で与えられた役割(本来はいなくなったって誰かが代わりをするし、言ってしまえばその会社自体が消滅したところで、地球の大勢に影響は皆無なのだが)に自分の価値を見出し、ある人(主に女)は家庭や子供を支えるという役割に自分の価値を見出し、そこに依存することで辛うじて自分の価値を自分に納得させることが出来ている。リストラ(不要とされて自分の価値が根底から覆される)されて自殺する男や、子供の1人立ちに伴
多分俺に必要なのはコレなのだ 性格的に俺は、ついつい「誰からもケチをつけられないくらい凄くなってから公開しよう」みたいなことを考える。 で、たいていそのまま、数年公開されないまま過ぎて、やべえ、結局構想ねってるばかりで何も公開してねえみたいなことになる。 たとえば「こんなすごいサイト作ってやるぜ」→「でもまだその辺りの知識がちゃんとしてないから、まず○○を勉強して…それを極めたら本を読んで研究を…」→「こんな風にしたら皆驚くだろうなグフフ。よーしより知識を蓄えなければ」→1年2年経ち、気付けばまだ一度もサイトをウェブに公開していない みたいな事が起きやすいのが俺。多分初めっからハイクオリティなものを作ろうとするからよくないのだろう。初めはとにかく「完成させる」ことが第一で、下手で「えーこれ変じゃね」と言われるレベルであっても、なんとか完成し、なんとか公開する、というサイクルが重要なのだ!多
http://anond.hatelabo.jp/20070426091926を読んで。 いい加減に、 「前々から一部で流行していたことや、さんざん議論し尽くされたことが、 ある日、発言力が強い上に当時を知らなかった人によって掘り返されて、 何も知らなかった人がそれに驚いたり感心したりする」 または「その驚いたり感心したりする人々を、当時を知る者が『今更そんな話題かよ』と不快に思う」 という現象に名前をつけないか。 元エントリも要約すれば、 「昔からセカンドライフのようなシステムは存在したが、いずれも失敗に終わった。 ただ流行したからの一点のみをもって、新しい要素だというのは愚の骨頂」 というようなものであって、上の定義にだいたい当てはまるといえる。 ネットでの議論のけっこうな部分を占めているぜこの話。 よくあるのが、 インディーズやら同人で活動していた人が、一躍メジャーの大舞台にたった時
飲み屋で隣の席の20代後半の男が、サッカーを知らない女子としてた会話。 「メッシってすげぇんだぜ、マラドーナの再来とかいって」 「へえー」 「5人抜きのドリブルとかしてたみたいで。その動画見てみたいなと思ってたら YouTube にあったんだよ。やっぱすげぇよ YouTube!」 と男が興奮してたので、「古いな、いつの動画の話してるんだろう」と思ってしまったけど、そういえばあれって今月か先月にブクマされた動画だっけ。 はてなブックマーク - YouTube - メッシの伝説の5人抜きドリブル ブクマTOPに登場したのは一ヶ月前の4/21か。 ブックマーカーとしてブクマしたりチェックしたりしてると、ニュースは一般に広まる前に次々と消費しちゃってるから随分昔の話だと感じてしまった。 やだね、ブクマ速度でモノを見る視点って。
恋愛相談はなんで進歩しないのか? いつもいつも誰かが誰やらに恋愛のことを相談してて、それを聞くたびにばっかじゃねーの!?と思う。 ラジオのパーソナリティが読み上げるメールの内容は、10年前のそれとほとんど同じ内容だ。 おまえ、それもう解決済みだろうが。 そりゃ恋愛は、ひとりひとりに訪れるもので、その人がどうしたらいいのか分からないのも理解できるけどさ。 これだけ似たような事例があるなら、過去ログとか検索してなんとかできないのか? 恋愛相談の内容別に分類して、それに対応する回答をデータベース化すればいいのにと思う。 よくある「このページの内容は役に立ちましたか?」ってのつけといて、有効な内容はランクが上がるの。 なんなら、CGキャラに読み上げさせてもいい。バーチャル恋愛相談員だ。 なにか事がおこるたびにいちいちいろんな人が声を上げてさ、リソースの無駄。 リンク貼って、「これ読め」で済む。それ
ドア脇と言わず、車体の中央からでもどく必要があることがあります。 マジレスするよ。満員電車の乗り方、すごしかた。どれも結論は「空気読もう」なんだけど、そのデフォルト空気について。 乗る前ホームを良く見ましょう。 乗車目標という印字が床にあるなんだか枠線が引いてあるホームの向かい側に乗車目標と書かれたプレートが貼ってあるなど、目印があるはずです。駅によって違います。上記が全部あるところもあるし、一部かけている場合もあります。 枠線、もしくは乗車目標の前に人が2列や4列で並んでいるはずですから、その後ろに並びましょう。並ぶ際、枠線の曲がりに沿って並びます。(並ばないと「乗る気がないな」と判断されます。その結果乗れません。誰も並んでいないような時間帯なら適当に構えていても乗車できますが、そういう時間帯の話はしていません。) ホームに電車が突入する時飛び込まないでください。特に中央線! 列車が停車
とあるまとめブログを二年間やっています http://anond.hatelabo.jp/20070227013759 本題とは離れたところだが、「2chまとめブログ」という括りに強烈な違和感がある。 この人は自分のコピペブログに「私」が入っていないと思っているようだ。 このまとめブログに「私」は必要ありません。あの場所において、私は何一つとして主張をすべきではないのです。物事には色々な見方があります。その見方を考えるのは閲覧者で、私ではありません。 2ch系ブログには、単発レスの抜粋、レスアンカーでの短いやりとりの抜粋、一つのスレッドからレスをいくつか抜粋、複数のスレッドからレスを抜粋などという方式があるが、そのどれも「まとめ」ではない。「2chレス紹介ブログ」「スレ編集(紹介)ブログ」等と呼ぶべきだ。 2chのスレッドからブログ管理人がレスを選択し編集する時点で、明らかに管理人の「私」
あるいは、俺がインファイトの女の子に弱すぎる。 インファイトの女の子ってのはあれだ、物理的、精神的共に妙に距離が近い女の子。ふつー、出会ってばっかりのときはある程度距離をとる。闘う意思があっても、ジャブを放ちつつ距離を測る。そこで手応えがあってはじめて踏み込むもんだ。これが、生来のインファイターとなると、そんなまどろっこしい事はしない。こちらのジャブを華麗にかわして(いや、かわしてすらいないかもしれない)、ボディーブロー一閃、こちらがくらっときたら、ストレート。これで試合終了。 最初のポイントはためぐち。出会って3分でためぐち。こっちはまだ丁寧語でしゃべってるのに、そんなこと気にしない。しかもあだ名までつけてくる。そのあだ名が果てしなく安易。イージーすぎるよそれは、つってもぜんぜん聞かない。そして、立ち位置が近い。パーソナルスペースって知ってる?つか、パーソナルスペースある?ってくらい近い
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070219/1171840093 に対して自分のid付きダイアリーから 「障がい者のがいの字も漢字で書けない馬鹿は死ねよバーカバーカ」 とトラックバックを送ろうと思った。 すると 「障害者と書くと『害』の字には悪い意味がある、しょうがいしゃのどこが『害』なのだ」 という反応が返ってくることが予想される。 そこで、しょうがいってのは本来は障碍と書くのが正しい、障害は「碍」の字が常用漢字外だからと適当な文字を持って来て成立した表現であって本来は正しくない。 常用外だからと改変した字をもってして成立した表現を見て、差別表現だからひらがなに開こうというのは頭が悪すぎるやり方であり障碍に戻すだけでよいと返して、「障がい者」なる馬鹿げた表記を減らすためにululunの知名度を利用してやろうと思った。 けど卑怯気味な戦術なのでやめた。 ここ
私は"知的障害者"が嫌いだ。 と言ったら、遅れている人だとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。 私は小学生の頃に通っていたスイミングスクールで"障害者"に痴漢を受けた。 ==== 背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。中学生に見えたが実際はどうかわからない。 プールでは順番に泳ぐので壁沿いに並んで待っている時間があるのだが、 奴は後ろに並んだ時、そっと尻の割れ目に指を這わせた。 この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。 水着なので布一枚しか隔てるものがない。 物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。 プールの中、プールサイド、挙句の果てには泳いでいてコース越しにすれ違った時まで。 痴漢は続いた。 ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。 「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃ
例えば火曜でも水曜でもいいのだけど、有名人が亡くなったとする。 そうするとあるアルファブログでは「●●さん、死去」というエントリが流れる。 それ自体は有意義なニュースだし普段ニュースを見ない人には有益だろう。 だがそこに生前その方が遺した本や映画のアフィリエイト・リンクが貼ってあった場合、複雑な気持ちになる。 それって商売じゃないかなと。 当日や翌日はなかなか検索エンジンに掲載されなくても、土曜や日曜に「今週こんなことがありました」的なニュース番組でその人死去のニュースが再度流れたら、ニュースを見ていた人はそこでその方の名前で検索するだろう。そして何百人何千人もの人がそのエントリを見る。エントリ中や末尾で紹介されている Amazon の商品により、生前その方が出演していた映画や、出版した本を見る。そこでの Amazon 商品のクリック率はまぁそこそこあるのだろう。 批判ではないのだけれど、
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