原発を巡る動きを色々眺めていると、電力会社や経産省およびその周辺が、「原発がなくても夏が乗りきれちゃったら困る」と焦っている様子が伺えます。 ここでは原発プロパーのことが言いたいわけではないのに、本当に原発なしで何とかなるのか、その辺のところは議論しません。とにかく、「なくてもいけるのか、ないと困るのか」が焦点になっている、ということです。 原発を維持したい人々は、「ないと困る」と何とか演出しようとするし、原発をなくしたい人々は「なくてもいける」と言おうとします。 原発プロパーについて言えば、個人的には是非なくす方向でやって頂きたいので、「なくてもいける、だからなくせ」で通してもらっても構わないのですが、このロジックの背後には、「なくてもいける」が殺し文句になる、という前提があります。 これは冷静に考えると、結構恐ろしいことです。経産省が恐れるのも分かります。 「なくてもいける」なんて言い
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