ブックマーク / note.com/kigch_akuma (2)

  • 疒日記2 | 泣くことと痛みについて|kigch

    淡々と死を受け容れていたと書いたが、それでも顔色ひとつ変えなかったわけではない。当然のことながら、かなり泣いた。おおいに泣いた。感情がこみ上げる度にベッドに突っ伏して咽び泣いていた。特に11月上旬あたりは。 泣くのは決まって、人に会ったり、電話をしたり、メールのやり取りをしたり、つまり他人と関わりを持ったときだった。人の情に触れるとこちらも動揺し、涙が溢れ出すのだった。協働していた人たちに病のこと、それゆえ仕事から降りることをメールで伝えると、みなさん温かい言葉を返してくれて、それで泣いてしまうのだった。この時期毎晩夕に誘ってくれた弟とも一緒によく泣いた。とりわけ泣いたのは妹と従姉妹がふたりでうちを訪ねてきたときで、ドアを開けたらもう二人とも泣いていて、そんな彼女たちを部屋に案内するうちに僕も泣けてきて、ベッドに戻る頃にはもう涙が溢れていた。結局三人でえんえん泣いた。互いが泣くのを許しあ

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  • 疒日記11 音楽が終わったら|kigch

    何かが終わるときThe Doorsの「The End」が詩情たっぷりにつかわれたりするのがいやで、だったらまだ同じThe Doorsの「音楽がおわったらで」充分じゃんかと思ってたのだが、最近はその曲でも全然詩情も何も感じない。カラカラと響くただのアメリカン・ロックだ。ホテル・カリフォルニアもいい線いってなくはないけけまど、いまいいちだめだ。すっかり心身ともに乾ききっている。わさかここまで乾くとは思っていなかった。さては生命とは潤いだったのかもしれない。ある種の例外を覗いて、生命は潤いに満たされている。乾燥は生命の敵だ。 いま、とにかく乾ききっている。これが極限までいったとき死ぬかな、というイメージがある。医者である弟に聞いてみても、まあ、だいたい間違ってないと言うからそうなんだろう。鍼灸師である妹にはまだきいてないから聞いときたい。東洋医学的な見解がきっとありそうだ。ところで妹といえば、さ

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