引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…
-主去りし庭に薔薇が寂しげに咲いて- 1月に入ってぼくのブログが更新されなくなって、何か異変が起きたのではと思われたに違いありません。ぼくのブログを見てくれていたみなさんに、ご心配をかけてしまいましたが、本人は至って元気です。 9月5日に東京医大で、人工ひざを入れる手術が成功してから4か月が過ぎ、杖なしでまったく痛みもなく歩けるようになりました。 しかし、平成5年に女房の古里、新潟の弥彦村に建設した「ロマンの泉美術館」の建築資金を芝信用金庫に返済できなくなり、ついに75年も住み慣れた家と土地をとられてしまったのです。それは『薔薇族』が2年前に廃刊になり、無収入になってしまったのですから、どうすることもできませんでした。 美術館は新潟市にある「ヨネカ」という会社が、そのままの形で営業を継続してくれています。 代沢の地に父が青山から移り住んだのは、ぼくが生まれた昭和7年、木造2階の借家でした。
SITE ZERO Diary Blog SITE ZERO/ZERO SITE 関係者が綴るダイアリー。 さまざまな情報、日々の関心を投稿します。 四方田氏や高山宏氏との師弟関係について、はじめて詳しく知ることができた。 また、社会学者遠藤知巳氏も由良ゼミ出身という経緯に、何やら知のかたちの継承を見て納得する。 60〜70年代の「脱領域的」な知の運動の背後にいた編集者にして「工作者」、久保覚の存在も大きな発見である。 父である哲学者由良哲次との関係をはじめ、君美にいたる知的な系譜も実に興味深い。 後年になって日本美術や南朝研究に没頭した父とのつながりからは、この作品に名を伏せられたまま登場する人物の父子関係を連想した。 しかし、何と言っても、由良との関係を鏡とし、ジョージ・スタイナーや山折哲雄の師弟論を手がかりに考察される、師と弟子との関係性こそが、この著者にしか書きえない部分だ
http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20070212#p2 この記事の冒頭で、四方田犬彦「先生とわたし」が言及されている。 さて、 当時の韓国は軍事独裁政権が続いており、日本では「恐ろしい国」「何をするか判らない国」と思われていた(ようである)。「ようである」と自信がなさそうに付け加えたのは、日本のマスコミが軍事独裁政権時代の韓国をどのように表象していたか、きちんとした資料を持っていないからである(なお母親に「むかしの韓国にどんなイメージを持っていたか」と質問したところ、「李承晩ライン……」というほとんど答えになっていない答えしか返ってこなかった)。 ともあれソウルオリンピック(1988年)あたりから日本人の対韓国イメージは好転し、それに反比例するかのように対北朝鮮イメージは悪化し、好転しすぎた対韓国イメージへのバックラッシュとして今日の「嫌韓」があるというのがオレの
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