震災の当時、逆境の中で身を挺して患者を守る、様々な英雄が出現しました。しかし一方で、家族の心配や情報の不足など、様々な理由から「英雄にならなかった人々」も大勢います。そのような人々にとっての被災地とはどのようなものだったのでしょうか。 放射線は「見えない恐怖」だったのか 東京下町→ロンドンと移動してきた私にとって、相馬に入って一番嬉しいことは空気が美味しいこと、星が見えることです。オリオン座が見えるのがやっと、というロンドンに比べて、こちらでは住宅地でもほぼ毎日オリオン大星雲とプレアデス星団(すばる)がはっきり見えます。暗くなってから帰宅する楽しみでもあります。 「震災直後はもっと綺麗でしたよ」 と、当時から勤務されているスタッフに聞きました。 「夜が真っ暗でしたから。外に出て『きれいだなぁ』と思ったのを覚えています」 綺麗な空と美味しい空気。その中で放射線汚染、という無味無臭の被災がいっ
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