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教育に関するyu-kobaのブックマーク (3)

  • 「マージナル大学」の社会的意義 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    JILPTの『日労働研究雑誌』9月号が出ました。まだJILPTのHPにアップされていないのですが、特集は「若者の『雇用問題』:20年を振り返る」です。 この特集とくれば当然小杉礼子とくるわけですが、その他にも苅谷剛彦さんの提言、奥野寿、児美川孝一郎、居神浩、朴弘文の諸氏の論文、橋口昌治さんの紹介、関口倫紀さんの投稿論文がならんでおり、書評まで熊沢誠氏による小杉礼子『若者と初期キャリア』ととり揃えています。 順次紹介していきたいと思いますが、読んで一番ショッキングだったのが(といいながら、実はこれはかなりの程度紹介用の修辞ですが)、居神浩さんの「ノンエリート大学生に伝えるべきこと-「マージナル大学」の社会的意義」という論文です。 居神さんは田由紀流の「レリバンス」論に対して、 >現在「マージナル大学」の教育現場を覆っているのは、教育内容のレリバンス性を根的に無意味化する構造的圧力である

    「マージナル大学」の社会的意義 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 学力調査で「自分の位置」を知る必要はあるのか? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    受験する学校を選ぶとか、そのために知る必要性があるケースはある。ただ、今回の学力調査の問題って、「解けなかったら、先々苦労するんじゃない?」と思われるような、かなり基的な内容が問われていたんじゃなかったっけ? そうだとするならば、「全体における自分の位置」なんて知る必要がない。100点ではないすべての子について、まちがった問題について、なぜ、まちがったのか、なにが理解できていないのだろうか、ということが考えられるべき*1。逆に、まちがった問題があるにも関わらず、「平均点よりは上だ」みたいな安心の仕方をする方が遥かによくない。 点数を公表して比べれば比べるほど、子どもの関心は仕事の質そのもの(=絶対評価)ではなく、周囲との位置関係(=相対評価)のみに焦点化していく。わざわざ教育して子どもをダメにしてるわけだ。バカバカしいにも程がある。「自分の位置」を知ることにもほとんど意味なんかないのに、

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  • 工業高校が地方小都市を再生する(4) ~誰が「普通の子」の幸せを考えるのか:日経ビジネスオンライン

    (1回目、2回目、3回目から読む) 廃校危機にまで陥った工業高校が、同じく苦境を迎えた地元地域の支えを得て、実践的なものづくり教育で再生しつつある。これまで3回にわたり、山形県立長井工業高校のキャリア教育物語を紹介してきた。 筆者が取材の過程でもっとも強く感じたのは、学校づくり、まちづくりに賭ける関係者の静かな熱意だ。率直に言って、長井で行われていることは特に目新しい内容ではない。画期的なカリキュラム、教育方法で飛躍的に生徒の学力が伸びた、といった派手なサクセスストーリーもない。あるのは強い危機感と、それをバネにした長期的で遠大な構想。再生に向かい、それぞれが自分の持ち場で、今できることを地道にやろうとする粘り強さだ。 長井工業高校のキャリア教育の意義、成果が、当の意味で評価されるのは10年、20年先のことだろう。しかし現段階でも、同校から社会に巣立った若者の証言を得ることで、その教育

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