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  • 京都大原「寂光院」 建礼門院徳子ゆかり 平家物語の世界へ…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、平清盛の娘にして安徳帝の母、建礼門院徳子ゆかりの地へ。 建礼門院が平家滅亡後に隠棲した場所、京都大原「寂光院」です。その陵墓「大原西陵」、さらには「三千院」も巡ります。京都大原「平家物語」の世界へ…。 ■建礼門院徳子 建礼門院。女院になる前の名は、平徳子。平清盛の娘です。 ときは平家の全盛期、徳子は高倉天皇の皇后として入内すると、皇子を生みます。 この皇子は3歳にして安徳天皇に即位(高倉天皇は上皇に)。これにより、徳子は国母となりました。 しかし、その栄華も永くは続きませんでした…。 治承5年(1181年)正月、夫・高倉上皇が崩御。その翌月に父・清盛が死去すると、平家の没落が始まります。 源頼朝や木曾義仲らが平家討伐の兵を挙げると、平家一門は京を落ち、西海に逃れます。 徳子も安徳帝とともに従いますが、壇ノ浦の戦いで源氏に

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    yu8086
    yu8086 2022/06/05
  • 平家の栄華を築いた超人・平清盛!京都に残るゆかりの地めぐり

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、平安末に絶大な権力を誇った平家の棟梁、平清盛ゆかりの京都史跡へ。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!清盛が平家一門の屋敷群を築いた「六波羅蜜寺」、六波羅と並ぶ平家の一大拠点跡「若一神社」。平清盛を祀る塚や平清盛像もめぐります。 ■平清盛 平清盛は、伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平家の棟梁となります。 朝廷から厚い信頼を得て、武士として初めて太政大臣にまで上り詰めた人物です。 その権勢を決定づけたのが、平安時代末期に起きた保元・平治の乱。 この戦いで武家のライバル源氏を破り、以後は唯一の武門の棟梁として、絶大な権力を掌握、平家繁栄を築きました。 さらに清盛は、娘徳子を高倉天皇に入内させると、2人の間に皇子が生まれ安徳天皇となります。 清盛は帝の外祖父となり、その地位はますます盤石になった…ように見えました。 「平家

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    yu8086 2022/05/29
  • 滋賀大津「義仲寺」平家を圧倒!朝日将軍木曾義仲が眠る寺社

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、朝日将軍と呼ばれた源義仲(木曾義仲)の眠る「義仲寺」(滋賀県大津市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!義仲を祀る「義仲寺」へ、義仲の墓所、巴御前を祀る塚などをめぐります。そこには義仲を敬愛した俳聖の墓も…。 ■木曽義仲 源義仲(木曾義仲)は、河内源氏の血を引く源義賢の次男として生まれました。 幼名は駒王丸。出生地は義賢が館を構えた武蔵国の大蔵館と伝わります。 義仲が2歳のとき、父義賢がその兄義朝との対立によって、義朝の長男義平に討ち取られます。 義仲にも殺害命令が出されますが、大蔵館から密かに信州木曾に逃されました。 治承4年(1180年)、木曾の地で成長した義仲のところに、以仁王から平家打倒の令旨が届きます。 これに応じて同年9月、義仲は信州で兵を挙げると、越後から北陸へと快進撃を続けます。 寿永2年(1183年)

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    yu8086 2022/05/22
  • 頼朝の野望…奥州合戦!ゆかりの鎌倉史跡「源氏山公園」「永福寺跡」

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源頼朝の奥州合戦ゆかりの鎌倉史跡をめぐります。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!源氏一族の戦勝祈願の地「源氏山」、平泉文化を受け継ぐ幻の寺社「永福寺跡」、さらに頼朝ゆかりの「宇賀福神社」「佐助稲荷神社」をめぐります。 ■城語り 文治5年(1189年)4月、奥州を治める藤原泰衡は、源頼朝の再三再四の要求に屈する形で、匿っていた源義経を急襲。自害に追い込みました。 泰衡は、義経の首を鎌倉に送り、頼朝に恭順の意を示します。 京の後白河法皇も、「これで国内は静かになる、もう戦さはおしまい」と、頼朝に伝えます。 しかし、頼朝は矛を収めませんでした。頼朝の目的は、奥州藤原氏の殲滅にありました。 これまで義経を匿っていた罪は反逆以上と、朝廷に泰衡追討の宣旨を要求すると、全国に動員令を発します。 そして同年7月、宣旨発出を渋る朝廷を無視し

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    yu8086 2022/05/15
  • しづやしづ…悲運の舞姫「静御前」義経を恋い慕う決死の舞い

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源義経が愛した舞姫「静御前」ゆかりの地へ。埼玉県久喜市栗橋にある「静御前の墓」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!静が頼朝の前で踊った決死の舞いとは…? ■静御前 静御前(しずかごぜん)は、京の白拍子(男装の舞姫)。源義経の愛妾です。 白拍子を始めたとされる礒禅師の一人娘として生まれ、長じて京にその名を知られる美しい舞姫となりました。 寿永元年(1182)、後鳥羽上皇が白拍子を集めて「雨乞いの舞い」を催したとき、静が舞うと空がにわかに曇り雨が降り出したと伝わります。 この頃、京にいた義経と出会い、その寵愛を受けるようになりました。 その後、義経は兄頼朝と対立して、京を離れます。静御前も義経と行動を共にしました。 しかし苦難の旅のなか、吉野山で義経と別れると、京に戻る途中で捕らえられました。 (JR栗橋駅にある静御前の肖

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    yu8086 2022/05/01
  • 城ぶら「高館義経堂」!兄頼朝に追われ平泉へ…源義経最期の地

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、源義経の最期の地、奥州平泉にある「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!兄頼朝に追われ平泉に逃れた義経の最期とは?義経に最後まで仕えた武蔵坊弁慶、正・郷御前と娘の墓も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 源平合戦で獅子奮迅の活躍を見せた源義経(みなもとのよしつね)。 しかし、兄頼朝の許可なく官位を受けたことなどから、頼朝との関係が悪化。 頼朝から追討の兵を受けると、義経は少年期を過ごした奥州平泉に落ち延びます。 ときの東北の覇者・藤原秀衡はこれを庇護し、北上川に面した高台にある「高館」(衣川館)に居館を与えました。 しかし秀衡が病没すると、後を継いだ

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    yu8086 2022/04/24
  • 寺社ぶら「中尊寺」!奥州藤原氏の平和への願い積もる雪の光堂

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、岩手県平泉にある奥州藤原氏ゆかりの寺社「中尊寺」です。 雪の光堂へ…。「月見坂」を登って「中尊寺堂」そして「金色堂」。松尾芭蕉の像と句碑もあります。平泉一帯は、2011年6月に世界遺産に登録されています。

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    yu8086 2022/04/21
  • 城ぶら「柳之御所遺跡」!東北に栄華を築いた奥州藤原氏の政庁跡

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、奥州藤原氏の繁栄の跡、平泉にある「柳之御所遺跡」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!雪に覆われた「政庁跡」、3代秀衡の居館「伽羅之御所」、京都の平等院を模したとされる「無量光院跡」をめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 平安時代末期、東北の地に栄華を誇る一大都市がありました。 奥州平泉…。その規模は、京都に次ぐ人口を誇る日第2の都市でした。 平泉を拠点として、東北の地に覇権を敷いたのが、奥州藤原氏です。 前九年の役、後三年の役を経て、奥州の地を所領した藤原清衡を祖として、基衡、秀衡、泰衡と4代100年にわたって繁栄を築きました。 3代秀衡のときには、従五位下・鎮守府将軍に就

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    yu8086 2022/04/17
  • 鎌倉腰越「満福寺」!義経が頼朝に宛てた腰越状、その思いも虚しく…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源義経が兄頼朝に宛てて綴った手紙「腰越状」、それを書いた場所とされる鎌倉市腰越「満福寺」です。 義経ファンには胸が締め付けられる場所…。境内には「義経と弁慶主従の像」や「弁慶の腰掛石」、堂内には「腰越状の下書き」もありました…。 ■腰越状 寿永4年/元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いで、ついに源平合戦は終結。 平家は滅亡…。源氏の棟梁・源頼朝は、鎌倉を拠点とした新しい武家政権を開きました。 壇ノ浦の戦いをはじめとする合戦において、天才的な軍略を発揮し源氏を勝利に導いたのが、頼朝の弟・源義経です。 京に凱旋した義経は、後白河法皇からその功を讃えられ、配下の御家人らとともに官位を授かりました。 これに激怒したのが源頼朝です。自身の承認も得ず任官した者たちを罵り、東国への帰還を禁じました。 さらに梶原景時から頼朝へ、平家

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    yu8086 2022/04/10
  • 源平最後の戦い「壇ノ浦古戦場跡」!宿命の対決の果てに…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源氏対平家、宿命の対決の最終決戦「壇ノ浦古戦場跡」(山口県下関市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!源義経と平知盛の両者が対峙する像は迫力満点。壇ノ浦を見渡す「火の山ロープウェイ」や、安徳帝と平家一門を祀る「赤間神宮」もめぐります。 ■壇ノ浦の戦い 寿永2年(1183年)、源義仲に攻められた平家は、安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちます。 その後、義仲と源頼朝の対立に乗じて兵を立て直しますが、勢いに乗る鎌倉勢を押し戻すことはできませんでした。 平家軍は、一ノ谷の戦い、屋島の戦いと、相次いで源範頼率いる鎌倉源氏軍に敗北。 これらの戦いでは、源義経が天才的な軍略を発揮して、その勝利に貢献しました。 瀬戸内海を転々と逃れた平家軍は、ついに州最西端の長門国彦島に拠ります。 追う源氏軍は、範頼が九州に渡り平家の背後を遮断、

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    yu8086 2022/04/03
  • 城ぶら「大蔵館跡」!源氏一族の相克はかくも激しく…源義仲生誕の地

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、源(木曽)義仲生誕の地とされる「大蔵館跡」(埼玉県嵐山町)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!義仲の父義賢が北関東に築いた居館「大蔵館」跡へ。さらに義仲ゆかりの「鎌形八幡神社」、義仲・義高を弔う「班渓寺」をめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 源義賢(よしかた)は、河内源氏の棟梁・為義の次男。 保延5年(1139)、後に近衛天皇となる皇太子を警護する帯刀の長となり、帯刀先生(たてわきせんじょう)と呼ばれるほどの実力者でした。 しかし部下の不始末によって失職すると、北関東の武蔵国(埼玉県)に下ります。 そこで、当地の最大勢力である秩父氏と結ぶと、武蔵大蔵の地に城館を構えました。

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    yu8086 2022/03/28
  • 城ぶら「武田信義館」!甲斐武田氏の祖・信義の栄華と悲運のあと

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、甲斐武田氏の祖・信義の居館跡「武田信義館」(山梨県韮崎市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!武田信義の墓がある「願成寺」、韮崎市役所には「武田信義の騎馬像」もめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 ときは治承4年(1180)。源頼朝の伊豆挙兵と同じくして、甲斐で挙兵した武将がいました。 それが、武田信義(たけだのぶよし)。新羅三郎義光の血統を受け継ぐ、甲斐源氏の棟梁でした。 信義は、平家方の駿河目代を討ち取り駿河国を占拠し、平家軍を待ち構えます。 やがて京から平家軍がやって来ると、信義は富士川の東岸に着陣。鎌倉から出兵してきた源頼朝と連携して平家軍と対峙します。 そして迎えた

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    yu8086 2022/03/19
  • 源頼朝・義経兄弟、涙の対面石!頼朝・政子、愛の腰掛石も…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源頼朝と義経が涙の対面を果たした、静岡清水「八幡神社」へ。2人が腰掛けたと伝わる「対面石」があります。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!富士川の古戦場跡「平家越」、頼朝・政子ゆかりの「腰掛石」もめぐります。 ■いざ富士川 ときは源平合戦期。いざ富士川…。 この日訪れたのは、静岡清水にある「八幡神社」。源頼朝と義経が涙の対面を果たした場所です。まずは、その対面に至る経緯を振り返りましょう。 治承4年(1180)10月、ついに鎌倉入りを果たした源頼朝。 これに対し、ときの権力者・平清盛は追討の兵を派遣することを決定します。 頼朝は、平家軍を迎え撃つべく、坂東武士を率いて鎌倉を発します。 さらに、甲斐国からは甲斐源氏を率いる武田信義が出兵しました。 源平両軍は、富士川を挟んで対峙します。いざ決戦…! しかし、平家軍は飢饉による兵

    源頼朝・義経兄弟、涙の対面石!頼朝・政子、愛の腰掛石も…
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    yu8086 2022/03/13
  • 城ぶら「高藤山城」!上総広常の城?房総に覇を唱えた武将の命運

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、房総上総に覇を唱えた武将上総広常の居城と言われる「高藤山城」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!広大な田園風景のなかに立つ山城「高藤山城」、そして広常が願文を奉納した「玉前神社」へ…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 治承4年(1180)平家打倒の兵を挙げた源頼朝ですが、石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れます。 再挙をはかる頼朝は、房総半島の豪族たちに協力を求めました。 その一人、下総国の豪族・千葉常胤は、源氏の再興に感涙するほど極まり、速やかに300騎を率いて頼朝のもとに参陣。頼朝から、「父と思う」という賛辞を受けます。 一方、上総国を治める豪族・上総広常は、「千葉介(常胤)と相談した

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    yu8086 2022/03/06
  • 城ぶら「伊東館」!頼朝に立ち塞がった伊東祐親!八重姫の悲恋も…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、伊豆伊東を治めた豪族伊東氏の居館跡「伊東館」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!伊豆に配流された頼朝を預かった「伊東祐親の像」や八重姫・頼朝ゆかりの「音無神社」「日暮八幡神社」、「曽我兄弟の墓」も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 「伊東館」は、伊東氏代々の居館があった場所とされます。築城年代は定かではありません。 伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国伊東荘を領として栄えた豪族で、藤原南家の流れをくむ伊東祐隆(工藤祐隆)を祖とします。 祐隆は、嫡男祐家が早逝していたため、後の娘の子祐継を嫡子として、領の伊東荘を継がせました。 一方、祐家の子祐親も養子に迎え、河津荘

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    yu8086 2022/02/27
  • 城ぶら「亥鼻城」!頼朝再起を援けた千葉常胤、鎌倉殿へ繋ぐ鏑矢

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、源頼朝の復活を支援した千葉一族飛躍の城「亥鼻城」(千葉城)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!勇壮に弓を引く「千葉常胤の像」、「亥鼻城址」の石碑、天守風の郷土資料館などをめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 亥鼻城(いのはなじょう)は、平安時代末の大治元年(1126)に千葉常重が築城したとされます。 千葉氏は桓武平氏の血を継ぐ名門で、常重のときに上総国大椎から千葉に拠を移しました。 この千葉氏に隆盛をもたらしたのが、その息子・千葉常胤(ちばつねたね)です。 常胤は、保元元年(1156)の保元の乱に出陣、源義朝指揮下で戦ったことから源氏と強い関係を築きました。 治承4年(11

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    yu8086 2022/02/20
  • 城ぶら「大庭城」!大庭景親の武勇と舟地蔵伝説が残る古城址

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、東相模に残る平安の古城址「大庭城」(神奈川県藤沢市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!相模に覇を唱えた大庭景親の広大な居城跡。戦国期には北条早雲も攻めました。悲しい「舟地蔵」伝説も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 平安時代の末期、この地は「大庭御厨」と呼ばれる伊勢神宮の荘園でした。 この荘園を開拓したのが、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景正(権五郎、景政)。後に子孫は大庭氏に改姓し、この地を治めました。 城を築城したのは、景正の孫にあたる大庭景宗と言われます。 その子が、平氏の家人として相模国に覇を唱えた大庭景親。景親は、平氏打倒の兵を挙げた源頼朝を石橋山の戦いで破ると、その後も平氏

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    yu8086 2022/02/13
  • 城ぶら「怒田城」!海の武士団・三浦一族の武運を拓いた海の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、三浦一族が武運を切り拓いた海の城「怒田城」(神奈川県横須賀市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!海の武士団・三浦一族の誇る天然の要害「怒田城」跡をめぐって、鎌倉草創期に思いを馳せます。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 怒田城(ぬたじょう)は、三浦氏によって築かれたと伝えられます。 築城年は不明ですが、平安時代末期に三浦為継によるという説もあります。 位置づけとしては、三浦氏の居城・衣笠城の支城。 海上活動を活発に行い「海の武士団」と呼ばれた三浦氏の根拠地であったと考えられます。 治承4年(1180)、源頼朝の挙兵に応じて出兵した三浦氏は、平家方の畠山重忠軍と遭遇、合戦となります。

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    yu8086 2022/02/07
  • 伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」!東北の王者が眠る荘厳絢爛な霊屋

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、仙台藩祖・伊達政宗の眠る霊屋「瑞鳳殿」です。 ■瑞鳳殿 城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」。 東北の雄・伊達政宗の夢のあと、仙台城(青葉城)を「城ぶら」した後は、その墓所を参拝しましょう。

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    yu8086 2022/01/23
  • 城ぶら「福岡城」!黒田官兵衛・長政ゆかりの堅牢強固な平山城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、九州福岡にある黒田官兵衛・長政父子ゆかりの城「福岡城」。日100名城の一つです。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 福岡城の築城は1601年。 その年から7年かけて、総面積80万㎡、東西1km、南北700mの、国内最大規模の平山型の城が築城されました。 築城したのは、黒田長政。 大河ドラマ「軍師官兵衛」の主役・黒田官兵衛孝高の嫡男ですね。 長政は、関ヶ原の戦いで活躍し、武功一番としてここ福岡の地・筑前52万石を与えられました。 (官兵衛くんと長政くん) 一方、父・官兵衛は、九州の地から天下を取ることを狙いましたが、息子・長政の活躍で関ヶ原の戦が1日で終わったことから、その野望を断念。

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    yu8086 2022/01/09