最近絶不調で、なにかにつけて生や死について考え込んでしまう不安定なぼくは、最近真剣に「自殺」という問題について考え込んでいます。いや自分がするというのではなくて(まあ若干その気もないとはいえませんが)とりあえずは抽象的な問題としてですが。 人間が生きる意味や理由というのはいくらでも探しうるものですが、その全てがいずれは「死」によって無と化すわけです。にもかかわらずぼくらが生きているのは、生命活動の本質がトートロジー――「生きているから生きている」ただそこに行き着くからではないでしょうか。ぼくらは目的や意味のために生きているのではなく、ただ生きているから生きている。そこには一切の意味も理由も存在しない。あえていうなら「生きているから生きている」というトートロジーを反覆し続けるためのエクスキューズとしてのみ、意味や理由は存在している、と思います。 対して、人はなぜ「死にたがるのか」の方が明晰で