2010年2月のぼく(萌えぎのエレン)のTLから、萌えに関するやりとりをまとめ。ぼくは何でもかんでもアイドルに結びつけて話をしてしまうので、こういうまとめになっております。 @Quecy_さんのツイートhttp://twitter.com/Quecy_/status/9106778712は本文の流れとは関係ありませんが、参考として載せました。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1294494.html “美しい黒髪”といえば大和撫子。大和撫子といえば清楚で大人しそうなイメージ…といった具合に、女性の黒髪をスタート地点にして、ご都合主義の想像力を膨らませるのはそんなに難しいことではない。控えめな態度の妙齢黒髪女性を見かけた場合などは、とりわけそうだろう。 もちろん、黒髪女性の内実が、大和撫子と呼ぶに相応しいかどうかは分からないし、黒髪女性が大和撫子をやらなければならないというルールはどこにも無い。けれどもある種の男性は、そうやって自分の願望や想像力を黒髪女性に投影して、「よさげだなぁゲヘゲヘ」と想像力を膨らませずにはいられない。眼前の女性の内実とは無関係に「黒髪→大人しそう→おいしそう→俺でもモノにしやすそう」という想像力だけを連鎖させ、妄想的な願望を抱いたり、頭のなかで「架空のデー
キャンディーズかよww スーちゃん(ムチムチ・みくるポジ)、 ランちゃん(センター・普通体型・ハルヒポジ)、 ミキちゃん(スレンダー・長門ポジ)だが、 俺はスーちゃんくらいがいいです。
僕は写真集を買う。 今まで買ったのは、矢口真里、辻希美、松浦亜弥、道重さゆみ、矢島舞美、嗣永桃子。ほか、グループの写真集もたくさん買っている。 それでいて、そもそも僕は写真集というものがよく分からない。なんで買うのかなあ。これは、ライブになんで行くのかなあ、と同じ疑問だろうか。 2002年あたりから、ハロプロのメンバーが写真集を出すようになって、それもまあ、水着ショットを含むものが当然のように売られるようになって、僕は当時大きな違和感を感じたことを記憶している。水着なんか着なくても十分魅力的だ、というよりは、水着を着てはいけない、というような感覚か。それまで、モーニング娘。は明らかに物語で勝負していた。例えば「うたばん」が面白かった時代というのが、モーニング娘。の物語性が力を持っていた時期だと言える。 それに対して、アイドルの身体性を露わにして我々に提供する写真集というのは、我々の物語る能
以前の「場のルールはどのように形成されるのか(3)」(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20080807/1218128487)は、いろいろ思惑があって書いたものだが、内容としてはやはり不備があった。 神宮花火大会におけるベリキューヲタのはっちゃけぶりに関して、僕はヲタの立場から徹底してヲタの立場を擁護した。が、http://kyoto-edu.bne.jp/~althusser/nacci/ の8/13〜14で極めて正当に批判されているように、場のルールを運営者に委ねることによって理論的に責任転嫁を図ることであったり、ヲタ対一般という構図における非対称性を考えた時、実質上ヲタの居直りでしかありえないような言説を著してしまったことには問題があったと思う。とは言え、それであってもなおやはり、ヲタという立場から言葉を紡ぐ時、前回のエントリに意義はあったのだととりあえず言い
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