2010年9月24日のブックマーク (2件)

  • 宝塚時代の天海祐希の武勇伝

    知人に天海祐希のファンがいたのだが、驚いたことに彼は宝塚時代のエピソードはほとんど知らなかった。 天海は、宝塚ではかなりの伝説を作り上げてしまった人なので、これを知らないファンがいるのはもったいないなぁ、と思った。 なので、ざっくり彼女のジェンヌ時代の伝説を書いてみようと思う。 入団1年目で新人公演主役、7年目でトップスターこれは男役としては異例の速さだ。 新人公演というのは、公演と同じ内容の演目を、入団1年目から7年目までの新人達だけで演じる公演のこと。 トップ路線に進む男役の子は普通、この新人公演で良い役をもらいながら、7年目までに一度は(新人公演で)主役をやる。 その後公演でも、徐々に良い役をもらうようになってゆき、所属する組の三番手、二番手を経て、トップになる。 (ただしこれは天海在団当時のルールで、新専科が出来た今は、多少異なる) とは言え、いくらなんでも1年目で新人公演主演

    宝塚時代の天海祐希の武勇伝
    yuaaa
    yuaaa 2010/09/24
  • 世界でいちばんひどい生放送サイトをつくったらわりと流行った件 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    そろそろ話しても害はないと思うので昔話をしてみる。 2年前ぐらいにCGMベースの生放送サイトをつくったときの話だ。 すでに生放送のシステムは1年前に運用開始していて、いろいろな番組をつくって配信していたのだが、自前で番組までつくるモデル(公式生放送)ではスケールして成立するビジネスモデルをつくるのが難しい。だから、もともとユーザが自分で生放送ができるサイトで勝負するというのが当初からの戦略で、1年間やっていた公式生放送は、成功できるユーザ生放送システムとはどう実装すればいいのかを探るためのプロトタイプという意味合いが強かった。 年末を目標としてサービスを立ち上げるという目標でユーザ生放送企画開発チームが発足したのは2年前の夏前ぐらいだ。開発期間が半年ぐらいしかなかったが、すでに公式生放送のシステムは1年ぐらい運用していてベースとなる技術は蓄積されていたのでそれほど不可能な目標ではなかった。

    世界でいちばんひどい生放送サイトをつくったらわりと流行った件 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
    yuaaa
    yuaaa 2010/09/24