太平洋戦争の最激戦地であった硫黄島では、2万2千余の日本軍将兵と軍属が、昭和20年2月19日に 上陸を開始した約6万1千の米軍(これに倍する支援部隊あり)を相手に、実に36日間の死斗の末、 米軍の戦闘能力を半減させ21,900名が戦死しました。硫黄島の地下壕は全長18kmあり、壕口も 約千個あったと言われており、戦後、米軍の手により閉鎖された地下壕も多く内部に何体の遺骨が 残されているのかは不明です。また、地下壕内は地熱が高く正に、灼熱地獄の暑さと落盤の危険、 堆積した土砂や不発弾などで、遺骨収集作業は遅々として進みません。 硫黄島協会は現在、厚生省及び防衛庁、日本遺族会、小笠原村在住硫黄島旧島民の会、日本青年遺骨収集団、 小笠原村等と協力し、全ての遺骨が故郷に戻るまで、現在は年に2回の各1ヶ月に亘る遺骨調査・収集を 行っています。 近年はローラー作戦で大規模な作業を行い著