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ブックマーク / www.ntt-union-west.gr.jp (1)

  • NTT労働組合 西日本本部 » 反対運動から復帰闘争へ

    「小学3年の私は、台湾の国民学校で手旗信号や教育勅語を教えられ、毎日、竹やり訓練、糧増産のための畑仕事などをしていた。兵隊がいるから自分たちは生きていられると思い込まされていた」と語るのは、退職者の会沖縄県支部協議会会長・黒島善市さん。 黒島さんは、1941~45年(終戦の年)まで、台湾に疎開。軍港のある台湾・高雄は、1944年ごろから、空襲も頻繁になり、戦争は激化していた。 「紙が少ないから、A4の半分くらいのものに試験の答えだけ書く。問題は黒板。一問間違えるとげんこつが一つ。先生の拳が痛くなるとだんだん緩くなる。すると先生が代わってまたなぐる」。当時の学校は、試験もこのような状 況だったようだ。 「12月8日、日軍が真珠湾を攻撃した日。みんなで歌を歌って鼓舞したものです。情報は、教室にある丸いラジオのみ。退却~転進…と。空爆も激しくなり、撃ち落としてやろうと、ゴム管でオモチャをつく

    yuiseki
    yuiseki 2015/05/11
    モービル天ぷらはよく食べたよ。ハブ・犬・野ネズミ・猫なんかをモービル製のエンジンオイルで揚げて食べるんだ
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