タグ

ブックマーク / satomies.hatenadiary.com (8)

  • 「自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (世界思想ゼミナール)」 - リツエアクベバ

    自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (世界思想ゼミナール) 読んだよ、読んだ、読んだ。おもしろかった。 あのね、「自閉症の」っていうタイトルになっているんだけれど、さあ自閉症を学びましょう的ハウツーじゃないの。そういうなんていうかこっち側からあっちを見てますってなもんじゃないの。自閉症に見られる行動や社会との接し方をとらえて、そして多くの人が「普通」ととらえている社会を解明していく。そしてまた自閉症に戻りという「行ったり来たり」。 おもしろかったんだけど。障害や自閉症に関して、手っ取り早いなんだかんだを書籍から手渡して欲しいと思う層にはまだるっこしいと思われるかもしれないとも思った。要は、知的障害とはなんぞや自閉症スペクトラムとはなんぞやみたいなこと自体を考えていくことに「いつしかはまってしまった」層に、ものすごく美味しくいただける書籍という感じ。ひとつひとつの章から学べるも

    「自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (世界思想ゼミナール)」 - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2008/11/20
  • コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ

    あかいくるまにガキ二人を乗せて大手スーパーに。息子が明日から部活の合宿なので、細々とした買い忘れたものを買いに。 で、ふと「あそこ、左折するぞ」と。いや急にその角を曲がると「サンジャポ商品を売ってるコンビニ」があったな、と。あの変な宣伝のポテトを買って行こうぜと。 コンビニ入って、商品にべたべたと印刷された変な宣伝写真を見ながら息子ときゃーきゃー言ってて。娘もケラケラ笑ってて。そのとき、店の向こうの隅で、じゃばじゃばと液体が一気に流れる音がした。 小さい男の子が、じゃばじゃばと一気にゲロを吐いてた。慌てる母親。あの調子だとまた来るぞ、と思ったら、再度じゃーっと吐いた。 「すみません、子どもが吐いてしまいました」と母親が店の人に言う。様子をうかがいながら、店の人に言った時点でこれは出る幕ではないな、と判断しようとしてたんだけど。 「ゴム手袋じゃない? 必要なの」「モップを出さなきゃねえ」と。

    コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2008/07/30
  • 絶対まとまらないと思うこと - リツエアクベバ

    う〜〜〜〜〜ん、と考えつつ、絶対まとまらないと思うのでもう感情という部分で記載。 なんか悲しくなっちゃってさ〜。 なにが悲しいかって、ってのはね。わからないんだろうなあ、って思うこと。そうだよなあ、専門家ってヤツでも(わからないんだろうなあ)って思うもんなあ、って。 まずごめんなさいって、それからだよ/S嬢はてな いや、とにかく社会ってののコミュニケーションよ、と。だってそれ欠いたらまとまるものもまとまらなくなってくるんだもの。だからって、いやとにかくあやまっとけよ、ってことでもないんだな。 たとえば/sala_3の日記 1、2歳の第一子で他の子のものを取り上げてしまう、あるいはたたいてしまうという行動に悩んでいる母からよく「男の子だからしょうがない」という声を聞くのだ。私は娘だけということもあるが同じようなことで悩んだ経験はない。なので、「そうだよね男の子だからしょうがないよ。いいじゃん

    絶対まとまらないと思うこと - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2007/02/24
  • あの人キライ - リツエアクベバ

    あの人キライ。あの人がいると心がざわざわする。あの人の言うことや、あの人の笑い方や、あの人のすることが全部イヤに見える。あの人がそばにいなければいいのに。 隣の人があの人と話す。あの人のことイヤじゃないのかしら。なんで話なんてするんだろう。隣の人があの人と話していると、わたしはただイライラして、ここにいるのがイヤ〜な気持ちになる。 でもわたしはここにいたいんだもの、あの人がここにいなきゃいいんだわ。そうだ、隣の人もきっとあの人のことが嫌いなはず。我慢してるんだわ。我慢するのやめようよって言ったら、きっと相手にしなくなるわ。あの人なんて誰も相手にしなければいいんだわ。 ってことなんじゃないの、いわゆるいじめの発端って、と思うのだけど違うのかな。 まあ、人間、誰もかれも好きなわけでもなく、嫌いな人だっているのが自然なわけで。そこで他の人間の腕を引っ張るかどうかってこと、関係するようにも思う。腕

    あの人キライ - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2006/11/08
  • S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学

    以下、わたしが小学生のときに編み出した哲学。その後の人生の思考の中で、実は核になっている要素が高いもの。思考していたときの情景から察するに、高学年の年齢以前。つまり「10代」前。 世界は続く 自分を取り巻くこの世界というもの。これは実在しているものなのか。実は昨日までの記憶というものは、「お話」によくくっついているストーリー設定で、それが記憶として埋め込まれているだけなのではないか。昨日と今日。世界は当に続いているのか。 実験。夜、いくつかのものを居間のテーブルにセットする。翌日、「自分の記憶」と「現実の状態」を比較する。 違う。おかしい、と思う。世界は続かず、ストーリー設定の範疇に誤差が生まれているのではないか、と思う。(真相→母親が片づけているだけ) 何度か実験。誤差が生まれるときと生まれないときがある。実証できる実験ではない。 膝小僧をすりむいたときに、はたと思いつく。すりむいたケ

    S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学
    yuiseki
    yuiseki 2006/09/28
  • 乙武さんのブログ炎上 - リツエアクベバ

    皇族に新たな命が誕生するということで、この話題に関する意見のようなものを批判したい層が虎視眈々と狙っているような気がしていたのだけれど、ここに来たか、と思ったのが乙武さんのところ。 2006.09.07 紀子さま出産 2006.09.07 深くお詫びします (乙武洋匡オフィシャルサイト) この件に関しては、以下に全面同意。 安易な謝罪は保身に過ぎない。/あんたジャージでどこ行くの しかしねえ、と思う。びっくりするのはつまらない悪意を表す言葉を思いついて、意気揚々と(に見える)言いに行く感覚ですね。おもしろいのかね。 乙武ブログから障害者差別コメント収録 /今日、考えたこと ネット上でこうした方々を「イナゴ」だの「ネットイナゴ」だのと総称することが、どうやら一部層でかたまってきたようだけれど、こういう悪意、というものを見ながら思い出した映画。それは中国映画の芙蓉鎮。ネット上にレビューはいろい

    乙武さんのブログ炎上 - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2006/09/11
  • 文章表現による「見た目」 - リツエアクベバ

    「人は見た目が9割」というを読む。簡単に言えば半分面白くて半分つまらなかった。半分面白くて、ってのは発想と視点、半分つまらなかったってのは、その実証のための記述に関して無理やり持ってきたパズルのような感じでページが埋まっているようだったこと。 この「人は見た目が9割」ってことの「見た目」ってのは、別に持って生まれた容姿の美醜だのってことではなく、外見から入る情報が人に与える影響ってこと。同じことを伝えるのに「直立不動で正面切って相手を見据えて言う」のと、「小首かしげて微笑みながら言う」ってのでは、相手に与える印象と伝わり方に差違があるってこと。 で、コミュニケーションとしての「文字」。インターネット上では「小首かしげて微笑みながら」なんてことは、外見上ではできないわけで。それに代わるものはなんじゃろな、と。 ですます調、だ調、である調、なんてので、この「文字表現上の見た目」は変わる。断定

    文章表現による「見た目」 - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2006/05/11
  • 「差別」とその周辺 - リツエアクベバ

    思考メモ:差別の周辺/あんたジャージでどこ行くの リンク先を読み、ふむふむ。差別ってネタよりも思ったこと、「きょうだい」は、こんなとこで口を開いているのか、と。親にはなかなか言えんだろう、ましてや友人に言うのもなかなか難しいだろう、言うこと自体がめんどくさくもなりそうだし、妙に同情されてもつき合いにくいだろうし。 「差別」ということを考えると、いろんな意味で難しいと思うし、わからないと言えばわからない。やっぱりこれはそれぞれの立場と経験というものが関係してくるのだろうと思う。 例えば障害を異質や異形ととらえたとき、生理的な違和感ということを感じる人のその感覚の存在というものは避けられないものだと思うし、それは日常的な慣れも関係してくるのだろうとも思う。どういう感覚でも、その感覚自体を「持つ」ということは自由なはず。ただ、そうした要素の感覚が生まれたのなら、それを上手に隠す、ということもまた

    「差別」とその周辺 - リツエアクベバ
    yuiseki
    yuiseki 2006/04/08
  • 1