根源を遡っていけば共同体の在り方への漠然とした信仰しか残らない点で人権思想も宗教と変わりないし、どう考えてもイデオロギー以上のものではない。 それなのに人権は絶対だという人間が少なからず存在するのを割と不思議に思ってた。 別に倫理学なんか学ばなくとも単純に「なぜ?」を繰り返せばその結論に至ると思う。 学んだ所で、根っこの部分の正当化は割とお粗末な感じな気がした。おれはね。自然法とか定言命法とか直観とかさあ。 私たちの道徳的直観が「それは差別である」と判断します、とかもう何でもありじゃん。 そういうのと道徳的直観ではない個々人の感覚とをどう区別すんの?それこそ「それってあなたの感想ですよね」案件になっちゃうよね。 普遍性を要求するのなら誰の目にも明らかな論理が必要だけれど、それでは他の何らかの前提に寄りかかった仮言的な留まってしまう。 その前提となるような部分が倫理規範の根幹になる訳で、でも