2015-05-23 可能性としての自分としての他人 散文 子供の頃、よく考えた。どうしてわたしはわたしで、あの子じゃないんだろうと。そういう考えにふけっていた記憶として一番古いのは小学校二年生くらい。そのときは、「わたしはたまたまわたしなんだから、目をつぶったらあの子だった人生に乗り替わってる可能性がある」と本当に信じていて、でも目をつぶっても自分は自分のままで落胆したものだった。そのうち、「自分とあの子が入れ替わった瞬間にあの子の意識は自分の意識になっちゃうんだから、もし入れ替わってもそれは分かるわけないんだ」と考えるようになった。これが小学三年生くらい。 この考え方は非常に便利で、何か家で嫌なことがあったとき、学校でつまらないことで友達に泣かされたとき、「あの子と入れ替わった」ことにしてしまえばまあなんとなくいいやって気持ちになれた。わたしの意識になっちゃったからわたしはわたしのまま