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ブックマーク / mah-sokosoko.hatenablog.jp (2)

  • 可能性としての自分としての他人 - 世界は今日も簡単そうに回る

    2015-05-23 可能性としての自分としての他人 散文 子供の頃、よく考えた。どうしてわたしはわたしで、あの子じゃないんだろうと。そういう考えにふけっていた記憶として一番古いのは小学校二年生くらい。そのときは、「わたしはたまたまわたしなんだから、目をつぶったらあの子だった人生に乗り替わってる可能性がある」と当に信じていて、でも目をつぶっても自分は自分のままで落胆したものだった。そのうち、「自分とあの子が入れ替わった瞬間にあの子の意識は自分の意識になっちゃうんだから、もし入れ替わってもそれは分かるわけないんだ」と考えるようになった。これが小学三年生くらい。 この考え方は非常に便利で、何か家で嫌なことがあったとき、学校でつまらないことで友達に泣かされたとき、「あの子と入れ替わった」ことにしてしまえばまあなんとなくいいやって気持ちになれた。わたしの意識になっちゃったからわたしはわたしのまま

    可能性としての自分としての他人 - 世界は今日も簡単そうに回る
    yuki3mori
    yuki3mori 2015/05/23
    これを読んで「でもこの幸せな人も半年以内に謎の十円ハゲに悩まされるかもしれないじゃん?」と人の不幸を想像することのある我が身を省みた。
  • からっぽ - 世界は今日も簡単そうに回る

    2015-05-17 からっぽ 日々 初夏が無くて夏になった。異論は認めない。北海道では既にリラ冷え*1しているらしいのでもう夏の入り口なのだ。梅雨はこなくていい。 それはそれとして。 ゆずで「からっぽ」という曲があってわたしはその曲が好きでとくにタイトルの「からっぽ」が入る「からっぽになったのにー」のメロディがとても好きでふとした瞬間に口ずさんだりする。 けれど こんなにもからっぽになったのに 僕は歩き出した こうしてそこそこアクセスのあった前のブログをぶん投げて新しくブログを開設してみたところで、別に書くことなんて何も無い、そう、からっぽだなあと最近はよく思う。 たとえばわたしは嵐が好きだけれどジャニオタとして語れるような知識も経験も無いし、たとえばわたしはミスチルやバンプやピロウズやグレイプバインの曲なり歌詞なりを心から愛しているけれどもそれについて深く体系的に語れるようなメタ的な

    からっぽ - 世界は今日も簡単そうに回る
    yuki3mori
    yuki3mori 2015/05/17
    ブログという庭でくらい好きに叫んじゃうのも良いと思うのです。
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