投書欄の効用(3/3) 私が選者を務めている「朝日川柳」のデスクは、「声」編集グループの一角にある。選句のかたわら担当者たちの仕事ぶりを見ていると、その大変さがよくわかる。 投書は一日に全国で200通前後。東京本社分がほぼ半数を占める。必ず複数の担当者が、届いた手紙すべてに目を通し、採用候補を選ぶ。 「声」欄は毎日1人が、編集長のチェックのもと、責任をもって編集する仕組みだ。当日の担当者は、採用候補の中から本採用する投書を選び出す。 そして1編1編について、投書者に直接電話で連絡して、本人の投書かどうかなど細部を確かめ、必要なら内容の補足取材をする。定められた行数に調整したのち、掲載する原稿を本人にメール、ファクス、あるいは電話で読み上げるといった手段で最終的に確認する。 いつの時代でも、他人になりすまして投書する輩がいる。真実を装った作りごとを投書する輩がいる。「声」欄だけでなく
『民生委員制度』をつくった林市蔵の苦悩と決断(1/4) 政治の混迷が、つづいている。 もはや、政治とは何か、がわからなくなっているのではあるまいか。 思い出すヒントはある――“美談”から、政治を見るのだ。 もっとも、世に“美談”と称するものの、なかには、いかがわしさを感じさせるものも少なくない。 ところがここに、“美談”の極致(きょくち)ともいうべき実話が存在した。地方行政がまだ可憐(かれん)であり、官吏たちが庶民に“公僕”として一生懸命であった頃のこと。大阪府第15代知事・林市蔵(1867~1952)にまつわる話である。 ○夕刊売る母子の姿に 大正7年(1918)、秋も半(なか)ばの頃であった。 大阪市内は淀屋橋(よどやばし)――その路面電車「市電」の停留所近くに、一軒の理髪店があり、林は散髪してもらいながら、何気なく鏡に映る窓越しの、外の風景を眺めていた。 ちょうど、米騒
影響力が大きすぎると感じているジャーナリストたち(1/4) ジャーナリストは、世論に与える影響が大きいほうがいいと考えているのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。 アメリカのナイト財団はジャーナリズムの研究や新しい試みに資金を提供しているが、その関連の論文などを見ていて、興味深い調査レポートを見つけた。 1149人のジャーナリストに尋ね、世論への影響力をどう見ているかについて調査しているのだ。新聞・テレビ・ラジオ・通信社・雑誌と既存メディアのジャーナリストたちをランダムに選んで電話で尋ねたとのことで、02年の調査なのでいささか古いが、いろいろなことを考えさせてくれる。 興味深いことに、すべてのメディアのジャーナリストが、世論に対する影響力が大きすぎると感じているという。ジャーナリストたちは、自分たちの理想よりも実際の影響力が大きい、つまり、もっと影響力が小さいほうがいいと思って
「検察リーク」は存在するのか(3/4) それでは、なぜ、多面的、大局的な報道が少ないのか。 政治家とカネを巡る報道は、捜査当局が強制捜査に移るまでは「疑惑報道」とならざるを得ない。しかし本来、国会議員の疑惑に関してはどんどん報道されるべきである。 アメリカでは、現実の悪意の法理といって、公的人物については報道機関が虚偽であることを知っていたか、または、虚偽であることにまったく注意を払わなかったことを、名誉を毀損された側が立証しなければならない。したがって、公人に関する報道は、辛辣で、時には不快なほど鋭い攻撃でも許される。 ○大統領を辞任に追い込んだ米国の公人報道 一方、日本では公人報道に特別なルールがない。 そして、小泉首相時代から国会議員や自治体の首長による多くの名誉毀損訴訟が提起され、裁判所も名誉毀損の成立を認め、報道機関に対し高額の損害賠償を命じるようになってきた。このような
「記者は40歳でフリー」はどうか(1/5) 新聞3紙でつくるサイトなのに無謀なタイトルの原稿を書き始めてしまった気もするが、何の前提もなしに「フリーにしたら」と言っているわけではない。それなりの環境をととのえることができれば、活気のある「ジャーナリズムの未来」が開けるのではないかと思う。 新聞関係者に会うと、「新聞の危機」についての認識が人によってずいぶん違うことに驚かされる。 アメリカなどで新聞が陥っている経営危機はさまざまなメディアが報じているが、「海の向こうの話で日本は別」と思っている人も多い。たしかに戸別配達によって新聞を購読し読む習慣が浸透している日本は、アメリカなどに比べれば「新聞紙離れ」は進んでいないだろう。 しかしこの変化の根っこには、ニュースをネット経由で読む人が増えてきたという日本でもアメリカでも共通の現象がある。 「『新聞紙離れ』はあるかもしれないが、ネットで
<シベリア抑留死亡者・名簿に刻す>村山常雄さんに聞く(1/10) 今週の<時の人>は、シベリア抑留体験者の村山常雄さん(83)=新潟県糸魚川市在住=です。抑留中に死亡した旧日本兵ら4万6300人分の名前を収めた「シベリアに逝きし人々を刻す―ソ連抑留中死亡者名簿―」(自費出版)で、このほど第12回日本自費出版文化賞(主催:社団法人日本グラフィックサービス工業会/主管:NPO法人日本自費出版ネットワーク)の大賞を受賞しました。祈りの夏、村山さんに、自身の抑留体験や独力で名簿編纂に没頭した日々、そして、いま若い人たちに伝えたい思いなどを聞きました。 【村上常雄プロフィール】1926年新潟県生まれ。43年満州国立ハルピン水産試験場に勤務し、45年5月徴兵で現地入隊、8月、敗戦によりソ連軍の捕虜となり4年間の強制労働に従事する。49年8月舞鶴港に引き揚げ。 その後、教員となり新潟県内の8中学
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