開発・経済成長一辺倒ではなく「持続可能な社会」を目指し、「足るを知れ」と訴えた。エコロジー運動や平和運動出身者を多く抱えていたことから左翼(革新政党)系と見る者もいるが、「経済発展を目指す点では共産・社民なども自民党と同根」としており、従来の左右対立軸ではないことを主張していた。 前身のさきがけ時代に比べ保守政党色は大きく薄れており、党員の多くが民主党に入党し組織的つながりもほとんど無いことから、さきがけ時代の支持者の多くは離れていたと見られる。一般的には1998年の第18回参院選敗北か、あるいは2001年に当時の代表・武村正義らが民主党に入党した時点をもって、さきがけは解散したと見られており、その後身がみどりの会議であることはあまり知られていなかった。 選挙区では主に民主党を支援し、候補者によっては社民党などを支援することもあった。