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yuqi_026のブックマーク (1,028)

  • 編集者はこれまで、編集「部」が育ててきた。|今井雄紀

    2012年の5月、未経験ながら出版社に転職し、「編集者」と書かれた名刺を持たせてもらいました。 はじめて出社した日、契約書にサインしたぼくの字を見て当時の社長が「今井くんは字が雑だね! 頭の速さに手がついてきてないんだよ。〇〇くん(すごく著名な編集者の先輩)もそうだった。きっといい編集者になるよ」と褒めとも慰めともとれるような、いずれにしてもうれしいひと言をかけてくれたのを覚えています。もちろん僕の場合、ただ字が下手なだけだったんだけど。 当時の社長はこんなイメージ。それから今日まで12年。出版社では5年かけて、新書・小説・マンガといった書籍はもちろん、トークイベント、Webサイト、SNSまで。メディアごとの扱い方を細かく教わり、同時にそのどれにも通底する編集者としての基礎を仕込んでもらいました。 「編集とイベントの会社」として株式会社ツドイを作り独立してからの7年は、オウンドメディアに雑

    編集者はこれまで、編集「部」が育ててきた。|今井雄紀
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    yuqi_026 2024/08/09
    編集者の教育環境に関する仮説。
  • すぐれた聴き手は「お互い仕事ですもんね」を感じさせない。『奇奇怪怪明解事典』『脳盗』のTaiTanが俯瞰する会話の像 | JINS PARK

    すぐれた聴き手は「お互い仕事ですもんね」を感じさせない。『奇奇怪怪明解事典』『脳盗』のTaiTanが俯瞰する会話の像 JINS PARKの4代目編集長に就任した堀井美香さん。彼女とお届けする「想うために、聴く。」は、他人を想うための傾聴という営みについて考える特集です。 今回登場していただくのは、ヒップホップユニット『Dos Monos』のラッパーで、大人気ポッドキャスト番組『奇奇怪怪明解事典』を制作するポッドキャスターのTaiTanさん。ロックバンド『MONO NO AWARE』のギターボーカル・玉置周啓(しゅうけい)さんと共に立ち上げた同番組は、様々なジャンルをクロスオーバーしながら言葉を深堀りしていくトークで、コアなリスナーを増やし続けています。 『奇奇怪怪明解事典』がSpotifyと独占配信契約を結んだかと思えば、番組の書籍化やアニメ作品化を果たし、昨夏からはじまった初の地上波番組

    すぐれた聴き手は「お互い仕事ですもんね」を感じさせない。『奇奇怪怪明解事典』『脳盗』のTaiTanが俯瞰する会話の像 | JINS PARK
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    yuqi_026 2023/03/30
  • 京阪、水辺に、菊人形。ちょうどいい街、枚方の街。(文・西山瞳) - SUUMOタウン

    著: 西山瞳 枚方市は、ちょうど良い街です。 田舎すぎず、都会すぎず、大阪に出るのも京都に出るのも同じぐらいの時間で、車だと、奈良もそんなに遠くないです。神戸については聞かないでください。 私はこの枚方で、幼少期から27年間過ごしました。20歳からジャズ・ピアニストとして活動し、26歳でメジャーデビューして、28歳のときに東京に引越したのですが、関西で演奏することも多いので 、今も度々枚方に帰っています。 2022年12月。枚方市駅北口ロータリー 枚方市は大阪府の北東、京都府との境の淀川左岸に位置します。時々、私の関西弁を聞いた他の地域の方から「京都出身ですか?」と聞かれることがあるのですが、位置的に若干京都の喋り方と混ざっているのかもしれません。大阪の都会の方と比べ、おしゃべりのテンポ感は少しゆっくりしています。 ひらかたパークと京阪電車、この二つは枚方の住民から絶大な信頼を得ており、わ

    京阪、水辺に、菊人形。ちょうどいい街、枚方の街。(文・西山瞳) - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2023/02/28
  • 僕は島民か、観光客か。ジレンマの東京八丈島(文・玉置周啓) - SUUMOタウン

    著: 玉置周啓 八丈島が活気に満ちるのは、いつも夏であった。 盆祭りに行けば、島民と観光客の判別がつかないほど多くの見知らぬ顔があった。近所の温泉にホクホク顔の来島者がいれば満面の笑みで着替えをロッカーに放り込み、露天風呂で覚えたてのクロールを披露して父親に拳骨をもらった。 「南国下」と呼ばれる入江に行けば、くじら岩やサメのヒレなどと勝手に名付けた岩群の向こうから、大波小波が押し寄せた。観光客が来るような場所ではないので悠々と泳ぐことができたが、そこで何度も溺れかけ、そのせいで泳ぎが苦手になった。3年生になったら「湾」と呼ばれる水深5mの漁港内で小遠泳をしなければならないと知り、それから毎晩母に抱かれて咽び泣いた。 家に帰れば、玄関口にバランスボールかと見紛うほどの大玉スイカがいくつも積まれ、友達が遊びに来るたびそれを見て驚くのが密かな喜びであった。遠くから来客があれば祖母お手製の島寿司が

    僕は島民か、観光客か。ジレンマの東京八丈島(文・玉置周啓) - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2023/01/31
  • 誰かと比べることは、スイッチであってガソリンじゃない。峯岸みなみとMOROHA・アフロが見つけた、走りつづけるために必要なこと。 | JINS PARK

    誰かと比べることは、スイッチであってガソリンじゃない。峯岸みなみとMOROHA・アフロが見つけた、走りつづけるために必要なこと。 JINS PARK3代目編集長の峯岸みなみさんとお届けする特集「“自己ベスト”こそ、道しるべ。」過去にとらわれず、自分のベストをつくすことで道を拓いてきた人にお話をうかがいます。 編集長として迎えるはじめての対談取材。「どなたとお話したいですか?」と峯岸さんにお聞きすると、即座にMOROHA・アフロさんの名前を挙げてくださいました。MOROHAは、MCのアフロさん・アコースティックギターのUKさんによる2人組のミュージシャンです。 池松壮亮さん主演のドラマ『宮から君へ』のエンディングテーマに起用された「革命」にはじまり、生きる上で感じる悔しさや苦しさを歌詞にしながら、常に己と向き合い続ける音楽性で多くの人からの共感を得ているMOROHA。峯岸さんもまた、その力

    誰かと比べることは、スイッチであってガソリンじゃない。峯岸みなみとMOROHA・アフロが見つけた、走りつづけるために必要なこと。 | JINS PARK
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    yuqi_026 2022/12/20
  • しれっとガンコに「町」で居る。桜新町わたしの聖地。 - SUUMOタウン

    著: 清水幹太 先日、富山県に行った際に、「聖地巡礼」をする機会があった。藤子不二雄(A)先生による自伝的作品「まんが道」の前半は先生の故郷である富山県を舞台にしていて、先生の漫画人生における象徴的な出来事が描かれた場所は、「聖地」になっている。「この郵便局から先生は原稿を東京の出版社に送ったんだなあ」とか、「先生はこのへんの新聞社で働いていたんだなあ」とか。 私の自伝的作品はまだ、ない。私は藤子先生のように何か大きなことを成し遂げた部類の人ではないので、今後も自分の人生が物語になって人の目に触れることなんてないのかもしれない。しかし、自分の人生が物語になるのなら、例えばどういった場所が「聖地」になるんだろう? なんて妄想してみる。 私が生まれ育った場所は、東京都世田谷区桜新町。サザエさんの舞台として有名な桜新町は、三軒茶屋や駒沢大学、用賀といった周辺の世田谷の「街」と較べると、でかいビル

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    yuqi_026 2022/12/01
  • ポートランドに行って飲みたくなるPodcast番組『オTALK』 | 今井雄紀

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    yuqi_026 2022/10/04
  • 新橋は嘘をつく。きっとキミは天才だと。(文・古東風太郎) - SUUMOタウン

    著: 古東風太郎 入社式を翌日に控えた2011年3月31日、新築のマンションで段ボールを開封すると三年間付き合った人に目も合わせずに別れを告げた。キツい西日が差し込むワンルームで、すぐ隣にある幸せより、ずっと先で待つ可能性に目がくらんでしまった。 「幸せにならなきゃ許さない」 そんなお人好しすぎる言葉を1つ言い残し、彼女は玄関のドアを閉じた。 何者かになりたい人間でごった返す東京で、時折、何者にもならずただ漂っていたい人間が紛れ込んでいる。これはそんな人間が新橋というサラリーマン激戦区で、あろうことか淘汰されずに生きのびてしまった話だ。 明日着るスーツのしわを手でテキトーに伸ばしたらベッドに倒れ込む。最後の最後までお人好しだった彼女を、とうとうボクは見送りもしなかった。「早く一発当てて恩返ししないと」彼女にできる罪滅ぼしを自分の身勝手な夢と重ねながら眠った。そんなやっちまった日の翌朝、まだ

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    yuqi_026 2021/03/31
  • 「代々木八幡」での職住超近接ぐらしが、わたしの人生を好転させた - SUUMOタウン

    著者: 中川淳一郎 人は良い場所に住むことにより良き人生を送れる人生に変わることができる――(アントニオ・ダ・オリベイラ) いや、ウソ。こんな人物はいない。あくまでもわたしが思っているだけである。それをつくづく感じたのが、代々木八幡を仕事場にするようになってからである。 スピリチュアルは信じない質だが…… 新卒で入った博報堂を退職したあと、自分にとって大口取引先のある渋谷から近い場所に部屋を借りるようにしてきた。渋谷の隣駅の池尻大橋(2001~2002)→渋谷から二駅の駒場東大前(2002~2003)→同じく渋谷から三駅の池ノ上(2003~2007)と移り住んでいたが、いまいちフリーのライター・編集者としてパッとしなかった。 34歳、名前で仕事を取る同世代の同業者が出てくる中、わたしはまったく目立たない存在だった。さて、このまま自分はフリーでやっていけるのか……。そろそろ会社員に戻るか……

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    yuqi_026 2020/09/10
  • 碧い清流、パン職人のわたし——徳島県神山町 - SUUMOタウン

    著: 山田友美 「3カ月だけ、ここで働かせてください」 そう言って徳島県の神山町に移り住み、丸2年半が経った。 生まれは香川の西の端っこ。海と山が近く、田舎だけど不便すぎもしない、どこにでもある、退屈で穏やかな田舎のまち。 べることは昔から好きだった。「」は私を形成するアイデンティティの中で最も大きい部分を占めている。ただ、高校卒業後の進路を決める際、まだ純朴だった私は、「専門学校より大学入った方がよくね?」という高校の担任の言葉にすんなり従い、興味のあった製菓の専門学校には進まず関西にある大学に進学した。大学時代は京都を中心においしいものをべ歩く時間が至福だった。 就職活動で友人たちが名だたる企業から華麗に内定をもらっていくなか感じた、迷いと焦り。飲業界の会社から内定を得たが、なんだかしっくりせず辞退してしまった。どうしても、自分の手でつくったものを直接届け、目の前の人を喜ばせた

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    yuqi_026 2020/07/07
  • 19インチのテレビを背負って逃げ込んだのは、映画のまち「調布」だった。 - SUUMOタウン

    著: 中前 結花 「それにしても、羨ましいなあ」 おじさんは工具でネジを締めながら、しきりに天井を見上げて、そう繰り返す。 「喫茶店なんかに、たまにあるでしょう。いい雰囲気の。そういうところの天井には、必ずこれが付いてるもんなあ」 “これ”とは、プロペラのような羽が天井でくるくる回る「シーリングファン」のことである。 「調布」という街に越してきて、1週間。 誰かにこの、白くて高い天井を見せたのは初めてのことだった。 ブンブンと勢いよく回る羽の様子は、どこか気を良くしているようにも見えて、家主になったばかりのわたしも鼻が高い。 2016年、春のことだ。 逃げ込んだのは、映画のまち 「うれしくて、天井ばっかり見ちゃいます」 わたしが答えると、おじさんは、「そうでしょう、そうでしょう」というように頷きながら、カウンターテーブルをマイペースに組み立てていく。 いわゆる「便利屋さん」というものを利用

    19インチのテレビを背負って逃げ込んだのは、映画のまち「調布」だった。 - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2020/05/13
  • 学生時代の甘い暇と仙台市泉区泉中央 - SUUMOタウン

    著: くどうれいん ひとり暮らしをするつもりなんてなかったのだ まさか自分が仙台に住むことになるとは思わなかった。岩手県の実家から県内の大学にのんびり通うものだと信じて疑わなかったわたしは、大学受験の日付を間違えて、落ちた。でかい石をひっくり返された虫のように、ぴゃ~とあたふたし、当事の先生方のご尽力もあってどうにか入れてもらえた大学が宮城県仙台市にあった。わたしは仙台でひとり暮らしをすることになった。 いまだからこそ未受験不合格のことを作品にして文芸誌に載せたりしているが、当事は真っ青だった。まわりの同級生たちのように、都会に出たいともひとり暮らしをしたいとも望んでいなかったわたしのひとり暮らしは、ほぼ強制的に始まった。 あこがれの仙台シティ、現実の泉中央 既に都市に暮らしている人には分かってもらえない感覚かもしれないが、盛岡の、それも合併前は村だったエリアに住んでいるわたしからすれば、

    学生時代の甘い暇と仙台市泉区泉中央 - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2020/04/30
  • 周りが売れていったのが自分の成功につながった。東京で過ごした20年間の下積み生活――じゅんいちダビッドソンさん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 髙橋かんな 写真:持田薫 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」に登場いただくのは、じゅんいちダビッドソンさんです。 「カバンを1つだけ持って上京する」のが憧れだったじゅんいちさんは、芸人を目指して上京したものの、アルバイトをしながら安いアパートを転々とする生活が続きます。一時期は、バイト先のビリヤード場の倉庫に住みこんで半年間を過ごすこともありました。 そんな生活も楽しんでいたじゅんいちさんでしたが、あるとき思い切って背伸びした家に引越してから少しずつ状況が好転し、現在のブレイクにつながったといいます。住む場所が変わったことで、周囲の環境や付き合う人が変わり良い刺激をもら

    周りが売れていったのが自分の成功につながった。東京で過ごした20年間の下積み生活――じゅんいちダビッドソンさん【上京物語】 - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2020/04/14
  • 成熟と喪失の学生街「早稲田」 - SUUMOタウン

    著: 小池潤 大学のある街には、まだ何者でもない若人たちが集まる。将来への焦燥感や理想と現実の乖離に苦しみながらも、それを差し引いても余るほどの活力をもって。 私の出身である新潟県では、受験を機に上京する人が多い。私もそのひとりである。 大学受験の勉強中に理系から文系へと志望を変えた私は「文系に進学するのであれば、さまざまな人間の集まる場所に行くのが良い」という先生のことばを聞いて、東京へ進学することを選んだ。 上京して初めて住んだのは、江戸川区の葛西という場所だった。新潟の片田舎から東京という異国の地に進学した私は、友達ができそうという理由で葛西にある大学寮を選んだのだ。しかしほどなくして、東西線の通勤・通学ラッシュが嫌になって、大学から徒歩3分のマンション引越した。住まいを検討するときには「アクセス」が重要であることを知った。 早稲田に引越してきてからというもの、ほぼ毎日、どこかへ飲

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    yuqi_026 2020/04/09
  • 「地元」と思えてくる暮らし、たとえば荻窪の話。 - SUUMOタウン

    著者: 安部 翔 ※文では荻窪から西荻窪にまたがる生活圏一帯を「荻窪」と表記しています(写真は西荻窪駅前) 家はあった、「地元」がなかった いきなりですが、小さいころから電車通学すると何がおきるでしょうか。 ぼくは東京の西側にある国分寺から、中央線の東京行きで小学校に通っていました。 あくまでN=1、ぼくの話ですが、 ・はじめは乗降者の濁流にのまれて駅で降りられず、泣いたりします。でも大丈夫、ほどなくして乗りこなせるようになります。ドアが開く方向さえ見誤らなければ、あとはタイミングよく流れに乗るだけです。あとは「降ります」とちゃんと言う。 不必要にまわりを押したりするのは恥ずかしいふるまいだな、とかそんな矜持をもって乗ってました。 そんな風に電車通学自体に慣れたとしても、不便は残ります。 ・友だちの家も電車でいくことです。遊ぶにも数日前から計画する必要があります。日の原風景「磯野〜野球

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    yuqi_026 2020/03/18
  • 懐深く、欲深く。わたしを育てたカオスな街「新宿」 - SUUMOタウン

    著者: 小野美由紀 この街を愛すると同時に憎んでると歌い上げたのはMSC、他の街を歩く資格がなかったから私この街が好きと囁くのは大森靖子。 歌謡の中の新宿には、どことなく陰で後ろめたいイメージが常につきまとう。 だけどベイベー分かってる?それはただの歌舞伎町のイメージ、「殺し屋1」と「龍が如く」で描かれるマッド・バイオレンス・タウン。けど新宿ってそれだけじゃない、生も死も愛も夢も暮らしも非日常も仕事も自然も全部ぜんぶぜーんぶ包摂したカオティック・ファンタジー・ワールド、誰もが物質世界の快楽を追求するハイパー消費シティ。 汚くってくさくって、綺麗で清潔で、きらびやかで淀んでて、ポップでお上品で、馬鹿で賢くて、そのどっちもある街、そのどっちにも属せない人間たちがそれでも居心地よく居られる街。全てがそろった東京のミニチュア、濃縮還元された「消費大国ニッポン」、生のごった煮、なんでもそろってなぁ

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    yuqi_026 2019/12/25
  • 京都で学生生活を送り、東京で就職した人間の身に起こること - SUUMOタウン

    著者: 夜衰 私は大学の学部入学から大学院(修士課程)修了まで、京都で過ごした。年で言うと2004年から2010年初頭までの話だ。いまのところ、人生の中で、もっとも長い期間住んでいた場所になる。だから京都について紹介しようと思うのだが、ここSUUMOタウンでも、そうそうたる面々が京都について語っているから、まだ未読の人がいたら、まずはそちらを読んでもらうとよいのではと思う。 最近は“僕の京都”を壊しにかかっているんです――小説家・森見登美彦さん 京都には世界の全てがあった(著者:phaさん) 二条に住んで、今日もヨーロッパに思いを馳せる。(著者:上田誠さん) 特にphaさんの記事は素晴らしく、京都の魅力を私の少なくとも1000兆倍は上手に語っている。というか、ほぼ私の言うことがなくなってしまって途方に暮れているのだけど、とりあえず自分なりに体験したことを書きたいと思う。 私が京都で過ごした

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    yuqi_026 2019/10/15
    編集したものです。夜衰さんはシンガーソングライターとしてすばらしいので、音楽もぜひ。https://open.spotify.com/track/6X1dZdCujShRe0GEu18sOC?si=kuMJFD8LR-S-AEQ3jV4yZg
  • 街がまるでフードコート!飽きとは無縁の多彩な「食卓」――小石川【暮らす街を「食べる」で選ぶ。】 - SUUMOタウン

    著: 徳 瑠里香 毎日帰ってくる街だからこそ、おいしくて敷居の低いお店があるとうれしい。住んだことのある人ならではの視点で、普段着でひとりでもかろやかに通える街の名店をご紹介します。 ◆◆◆ トマト、きゅうり、枝豆、とうもろこし……ただ切っただけ、ただ蒸しただけのおばあちゃんの畑から採ってきた野菜が並び、目の前に夏が広がる。愛知の片田舎で育った私は、色とりどりの野菜が彩る卓、旬の味で巡る季節を感じてきた。珈琲一杯にトーストやサラダが付いてくるモーニング以外、「外」は、誕生日や父の日・母の日(両親が祖父母をもてなす)に家族そろって、あるいは母が出かける日に父と行く「特別」なものだった。 夏の卓。自宅の畑直送、旬の野菜はべ放題のおやつでもあった 18歳で上京して、大学のサークルの新歓が開かれたお店でべた冷凍ブロッコリーの不味さに衝撃を受けこっそり吐き出したあの日。以来、そのショックを

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    yuqi_026 2019/08/27
  • 大阪市阿倍野区で過ごした、もう戻れない愛しい記憶。 - SUUMOタウン

    著者: 劔樹人 大阪の曇天に差した「ハロプロ」という光 私は、18歳で大学に進学した1998年から、上京する2007年まで、およそ10年間の青年期を大阪で過ごした。 その中でも、大学を卒業してからの数年間、私の暮らしの中心は大阪の天王寺・阿倍野近辺だった。 当時大学院への進学に失敗し、バンドでの成功を目指しながらアルバイトをする生活を選んだ私は、常に金がなく彼女もいない日々に、将来への不安を募らせ続けていた。 そんな時期にのめり込んだのがモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトの応援である。 うまくいかない日々に塞ぎ込んでいた私の心の曇天に、まず松浦亜弥が、そしてモーニング娘。が明るい光を照らした。 私は駆け上がるように(転がり落ちるように)ハロプロのオタクになり、それだけで底辺だったはずの生活が生き生きと輝き出すのを感じた。 モーニング娘。のコンサート会場にて。ダフ屋にしか見えな

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    yuqi_026 2019/08/06
  • 仕事の休憩時間を存分に楽しませてくれる街——神保町 - SUUMOタウン

    著者: 山口 周 半蔵門線の新駅「神保町」 かつて、東京メトロ半蔵門線はたった5駅しかない小さな路線であった。渋谷-表参道-青山一丁目-永田町-半蔵門で終わり。それが三越前まで4駅延び、神保町を通るようなったのは1989(平成元)年、私が中学2年のころである。 田園都市沿線に実家があった私は、自宅から乗り換えなしで神保町へ出られるようになった。真新しい駅のホームの壁面には、積まれたイラストがあしらわれ、「の街」をアピールしていた。今もホームの壁面はそのまま同じ絵だ。 今も変わらぬホームの壁面 中野書店・漫画部と欧風カレーボンディ 神保町はカレーの街、B級グルメの街でもあるが、それは大学生になってからのこと。事を自宅でべる中高生にとって、神保町へ行く目的は純粋に“を買う”一択で、買ったを喫茶店で優雅に読むことすらほとんどなかった。 主にマンガを買うことが目的で神保町へ出かけてい

    仕事の休憩時間を存分に楽しませてくれる街——神保町 - SUUMOタウン
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    yuqi_026 2019/07/23