アメリカにおける1960年の大ヒットは、トップがパーシー・フェイス・オーケストラの映画「避暑地の出来事」のテーマ「夏の日の恋」、ついで2位がプレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネバー」、3位がドリフターズの「ラストダンスは私に」、4位がチャビー・チェッカーの「ツイスト」、5位がブライアン・ハイランドの「ビキニ・スタイルのお嬢さん」、6位がブレンダ・リーの「アイム・ソーリー」、7位が再びプレスリーの「本命はお前だ」、8位がジム・リーブスの「ヒール・ハヴ・トゥ・ゴー」、9位がエバリー・ブラザーズの「キャシース・クラウン」、10位がジョニー・プレストンの「急がば回れ」が入っている。 一方、日本はこの年も独自のヒット曲が目立っていて、1位がサウンド・トラック(といっても日本のスタジオ・オーケストラの録音)で「太陽がいっぱい」、2位が映画「刑事」の主題歌でアリダ・ケミリの「死ぬほど愛して」、3位がニー
スティーヴ・ロスがボスだった。 70年代初頭。ケーブル・ビジネスはド田舎の農家と、高層ビル直下のアパートにたった3チャンネルの地上波(ABC,NBC,CBS)を送信するだけの、超ニッチビジネスだった。その頃から「これからテレビにもナローキャスティングの時代が来る」と踏んで、小さなケーブル屋を次々と買収し、会社の基礎を創ったのがスティーヴ・ロスだ。 数年後、ケーブルビジネスにブレークスルーが来た。 タイム社(現タイム・ワーナー)のジェリー・レヴィンが、衛星で米国全土のケーブル放送を統合する革新を起こした。レヴィンは、映画専門の有料チャンネル(HBO)を、衛星からケーブル経由で、各家庭に売るビジネスモデルを着想した。 当時、パラボラ・アンテナは個人が買える金額では無かったが、ケーブル会社なら何とか買える値段だった。キラーチャンネルを得たケーブル会社の前には、「マンネリ化した地上波に飽き飽きした
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