26日の本欄で曽野綾子氏が、挨拶(あいさつ)のできない日本人について嘆いておられた。全く同感。仲間うちでは和気あいあいでも、外部に対しては壁を作る。曽野さんの言うとおり現代人の生活がコンピューター相手になったせいもあるが、日本人の意識自体が閉鎖系に向かっているのではないか。 在京の外国人特派員の中に、「仕事で東京からソウルに行くとホッとする」と宣言する人々がいる。韓国人はオープンだからだと。反論すると、「日本人は取材しても心を開いてくれない」と言う。渡辺京二氏の「逝(ゆ)きし世の面影」を読むと、いかに明治の日本人が外国人に関心を持ち、屈託なく開放的かつ友好的に接していたかがわかる。あの時代、日本は欧米に追いつこうと坂を登っていった。相手の知識を吸収しなければならないから、自然とこちらも自分を開く。 現在の日本人は、外国にまともに向き合わない。もはや外国と交流し学ぶ必要性を感じなくなっている