■ウーセル・ブログ「書き換えられるレティン・リンポチェとシデ・タツァン」■ *文化大革命で破壊されたシデ・タツァンの廃墟。2012年10月21日撮影。 ■ラサに残された廃墟 ラサのチベット人街の中に今もそのままにされている目立つ廃墟が1つある。中国侵略による破壊の象徴のような廃墟を、なぜ当局はそのまま放置しているのか、私には不思議でならなかった。以下のウーセルさんのコラムを読み、やっと当局の意図が分かったような気がした。それにしても、すでにこの廃墟は長年放置され、多くの観光客が目にしており、普通の人は文革時代の破壊の象徴として解釈し済みな気がするが。 この廃墟はシデ・タツァンと呼ばれ、13世ダライ・ラマが崩御されたのち摂政として選ばれ、現在の14世ダライ・ラマの選出にも関わったとされる、5世レティン・リンポチェのラサでの修行場であった。5世レティン・リンポチェは1934年に3人の候補の中か