『人との縁を大切にする』 ってどういうことだろう。 意味はわかる。 けど、どうしたら大切にしたことになるんだろう。 今までたくさんの縁を大切にはできなかった。 少し考えたら、行うこと。 間違えて、自分で考えて感じて体得していく。 誰も答えは教えてくれない。
ライフスタイルが変わると友人とも、どうも話が合わなくなる。 何ヶ月も会ってない子となるとますます。 空白の時間+ステージの違いで、なにを話せば共感できるんだろう。 どうも話せない。 『結婚しているか、いないか』『子供がいるか、いないか』『働いてるか、働いていないか』『実家住まいか、一人暮らしか』 なぜ、違うステージが上手く噛み合わないんだろうなぁ。 何をどこから聞けばいいかわからないし、言っていいかもわからない。 大切な友達、失っちゃったかも。 自分には共感能力や、相手の伝えたいことを汲み取る想像力がちょっと少ないように感じる。 私達は近くにいる人は、どんな風に接したら喜んで、落ち込むか、ある程度感じ取って実践している。 長年会っていなければ、お互い変わる。 今、どんなことで悩んでいて、どんなことを話したいか、話したくないか分からない。 昔は心地よかった感覚が、チクリと痛みだす。 自分が安
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」 私の人との出会い方、付き合い方について振り返りと今後を書きたかったのでお題で書いてみる。 2022年 とりあえず色んな人と会ってみようと思った。 今の自分はどれくらい人とコミュニケーションがとれて、一般的にどんな風にみられるのか。 運良く続いていく出会いがあれば良いなとも思った。 街コンやアプリを使って、沢山の初めましての人と話す機会、食事にいったり、お出かけする機会があった。 色んな人がいた。 真剣な人もいるし、軽いノリの人、遊びの人、何回かでフェードアウトしたり、されたり。もう少し知りたい人からは何もなく、あまり興味が湧かない人から連絡がきたり。 その場のノリでは話せたけど、いざ1日出掛けると、何を話したら良いか分からない人。 どれも今に繋がる関係の人はいない。 それは、私が決められてないのと、めちゃくちゃ真剣という訳ではなかっ
これは本当に二極化するのだけど、 ひとり旅「好き派」と「何が楽しいの派」 私は断然、好き派。 無理な人は絶対に無理らしい。 これはもう仕方ない。 お互い絶対に理解はできない。 今回、私はJR西日本の試み『サイコロ切符』を使って舞鶴へと旅した。 サイコロ切符とは、4500円でエントリーし、サイコロをふって行き先を決める。 その往復切符(特急券込み)が手に出来るという内容。 発券するときに500円かかるので、総額5000円となる。 とはいえ、私もコロナが流行りだしてから、どこかに行くことがほとんど無かった。 ちょこちょこどこかにいったけど、珍しく大体人と一緒だった。 多分、こんな時に1人で目的もなく歩くなんて、(マスクもしなきゃいけないししんどい)みたいな気持ちもあり、誰かと目的をもってそこにいってさっと楽しめば大義名分となるでしょうみたいな気持ちがあったかもしれない。 だからいつの間にか、1
さみしい。 人と夜ご飯を食べた後だ。 これは単純に楽しすぎた別れの後の寂しさではない。 寂しい。虚しい。 話が出来なかった。沈黙を恐れる場だった。 私も相手もさほどお互い興味がなかったように思う。 お互い自分にフォーカスしていた。 対等の会話ができなかった。 用意された物語。 話したことの斜め上の返答が返ってきて、ちょっと違うけど、どんどん進んでいくから、私はそこで止まってズレたまま進んでいく。 身分とか年齢とか気にせず会話がしたいな。まぁ、そうもいかないのも分かってるけど。 せっかくお互いが割いた時間なのにこんな感じでなんだか虚しい。 きっと相手もさみしいんだろうなと思う。 それぞれの道があって、その途中でたまた交錯して一時を過ごしただけ。 それだけで何を分かるのだろう。その人のなにを語れるのだろう。 来た道と行く道があって、それは1人専用。 どうがんばっても見えないところがある。 どう
昔から、『暗い』ということが多かった。 言われるのはほぼ姉からだけだったけど。 それが嫌だった。 いかにも悪意を持った言い方に思えたから。 それにより暗さは悪だと思っていたからかもしれない。 明るいに憧れていたからかもしれない。 実際『暗い』のかどうかと言われると微妙なところだ。(まぁ、明るい!と断言できないしこういうこと書いている自体で暗いのでしょう。笑) 人は陽と陰どちらの部分も持ち合わせてるのは当然のことだから。 その範囲を占めるのがどちらが多いかということだと思う。 それのなにがいけないのだろう。 ただ、姉はそういう『暗さ』が苦手なだけで、私には魅力に思えるだけなのに。 確かに私が惹かれるものは暗さを匂わすものが多い。 暗いというより、哲学的だったり心情の変化を謳ったり、抽象的なのだと私は思っている。 分かりやすい例は音楽。 私の好きだったBUMP OF CHICKENもtacic
子供の頃、「地域の人に会ったら挨拶をしましょう」と言われてきた 人が居るとしても畑か田んぼぐらいのまち それでも登下校の時、人がいると、どきっとしながら挨拶をした この人はどこの家の人か、どれくらいの距離の人まであいさつをするべきか、なんてことを考えながら 年齢があがるにつれて「知らない人と話してはいけません」になった 隣まちの中学の制服を纏った君。学校の周りで人に会ってもお互い挨拶はない 成人した君、もう誰かに何かを言われることは随分と減った 知らないまちに住む、家の周りで人に会っても挨拶はない でも、ゴミ捨てに行くときだけは違った ゴミ捨て場では挨拶を交わす 地域の者同士。知らない者同士。よそ者だが。 見えない境界線があるようでない、ないようである
「 毎年届くりんご 食べきれないほどの野菜お米 昔好きだった お菓子ジュース 真似して書いたあなたの文字 心配かけてごめん 読みきれないほどの涙溢れ 信じてほしい 信じてほしい 私はあなたでできているよ」 私の好きなヒグチアイさんの わたしのしあわせのこの部分、すごく脳裏に情景が浮かび情緒を揺さぶる 。 「毎年届くりんご食べきれないほどの野菜お米」 故郷を思わせるりんごの姿。 それを見て 景色や、畑仕事をしているあなたの姿が思い浮かんでいる様子。 今年もできたからわたしに届けてやろうというあなたの想い。こんなに食べきれないよという嬉し困り顔のわたしが想像つく。 「昔好きだったお菓子ジュース」 なんとも切ない思いがこみ上げてくる。 共に過ごした時間の日々だけで、私 の情報が止まっている。ということが想像できる。昔、好きだったと過去形なのは、今はもう何年も違う場所での生活で、今の私の好みは把握
もう一度会いたい人、いますか? それも、熱烈に。 会いたいじゃなくて、会わなきゃ。という。 もう一度会わなきゃいけない人って 『何か借りがある人、心残りがある人』 ではないかと最近は思う。 『会いたい』と『会わなきゃ』は別の話な気もする。 会いたいは、会いたいけどまぁまたそのうち。元気にしてるかな。最近連絡とってないけど、でも連絡する理由も特にない。そしてこれはいつの間にか薄まっていく。 会わなきゃは、そうしなきゃ心が鎮まらない。これだけは伝えておかなきゃ、返しておかなきゃ。でも比較的今は環境的、物理的に会えない状況にいる。 分かりにくいけど、こんな感じ。 正直、一定期間会っていなければ、その人と会わなくてもなんともなくなってしまう気がする。 それは物事も一緒。 あんなに好きだった、『サーティワンのバーガンディーチェリー』『スタバの抹茶フラペチーノ』今は全然口にしない。 一時期は、見かけた
変わりたい。でも結局変われないんだ。 どこかに行ったらなにか変わるかな。環境を変えればなにか変わるかな。住む場所を変えたら、働く場所を変えたら… なんてことをしても結局少ししたら同じところで行き詰まる。 最初は今度はうまくいくかも。目指すところにいけるかも。なんて思っても、何だろう、結局それは頑張っている自分であって、持続してその姿でいるのは不可能だと分かった。 猫かぶってるのが剥がれる。そんな感じ。 それは昔から感じてきた。 中学のときも高校のときも専門のときも就職してからも。 よし、心機一転!からそれがどこかで何かの拍子でぷつんと切れる。「あ、なんかもういいや」「疲れた」「がんばってもうまくできないし、自分がしんどいだけ」「やっぱり無理なんだ」そんな風に思ってがんばらなくなる。 出だし好調だけどいつもどこかで降下。 変わらないな。変われないな。 ある人の「苦手なことは分かってるけど直せ
出会って別れて、近付いて離れて。 その繰り返しの日々だけど、それを寂しいと思い、それが当たり前だとも思い、良い距離感を探して、人と人は分かり合うことはできないとも思い、だけどできるだけ知りたいと思ったりもして、意味なんか考えたりする。 人との付き合いに期待はしない方が良い。というか、人がなにかを変えてくれる与えてくれると期待するのは間違ってる。 まずは自分が動かなきゃ。 動いてもダメなときもあるけど… 人とあったとき、魅力に感じる人にはセンサーが反応する。ただのあてにならない私の直感。 そういう人とは話をしたい。一対一で。 できるだけ早めに。 じゃないと勝手にイメージが出来上がってしまって、色眼鏡でみた相手と話してしまう恐れがある。 私は自分で見て聞いて感じたものを信じる。 誰だろうが、人から学べるものは学ぼうと思う。 私にないものを持っている人からなにかしら貰えるものはあると思う。 出来
人の話すテンポ感とは、何で決まっているのだろうか。 頭の回転の速さ?それも少なからずはあると思う。 昨日 初対面の人と話したんだけど、このテンポ感 安心するなって思った。 今私の周りにいる人のテンポ感は早い 早すぎる。 でも私はそれについて行かなきゃ というか、環境に左右されるとはよく言ったもので、そのテンポ感に合わせることで必死だ。 あの ゆったりなテンポ感をすっかり忘れていたと思う。 早く話さなきゃって思ったり うまく話せないから諦めようって思ったり。 その子と話して 、自分は自分で良いんだ って思った。 すごく安心した。 ゆっくり、人に何か教えたりするのが上手い人なんだなって思った。 笑顔も素敵だった。 この人は周りに人が集まる人だろうな って思った。 あーなんか泣きたい。 ちょっと色んなものから離れたい。 でも頑張りたい。 甘えたい 頼りたい でも1人で立っておかなきゃ 自分に自信
益田ミリさんの『今日の人生』という本を買って読んだ。 日常の些細なこと、最近見落としていたなと気づかされた。 この休みの出来事や、思ったことを忘れないうちに書いてみようと思う。 駅までに行く道でのこと。細い道でバックをしたいけど、グレーチングでタイヤが滑って後退できずに、前に進んではバックを繰り返している車がいた。 その車はトラックで、道を塞いでて私はじーっと見て待っていた。別に急いでた訳じゃないからただただ大変そうだなぁとじーっと見ていた。すると、運転手が『すみません。どうぞ』と行って先に行かせてくれた。すみません。と何度も言われた。私は『いえいえ』と言ってその道を通っただけだった。 私がなんと言っても変わらないし私にどうにかできることじゃないから… でも、今そこでその事態に気付いているのは私くらいなのだから、『大変ですね、大丈夫ですか?』の一声とか、前の家の車が退いてくれたらどうにかな
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