池田信夫さんの「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とのエントリーには、沢山のはてなブックマークコメントがついています。 その中では、高木浩光さんの 私も先生づけされるけどどうでもいいと思ってる。やめてと言い出す方が権力志向に見えてしまう。というのが、私の実感にも近いです。 どのような立場・属性の人間にどのような敬称を付するのかは、特段の事情がない限り慣習に従うのが普通であって、敬称を付けて呼ばれる側としては、慣習の範囲内で敬称が付けられている限りにおいては、そこに特段の意味を見出さないからです。皆さんだって、手紙の宛名や銀行で呼び出されるときに「様」という敬称が付けられたからって、そこに特段の意味を見出さないでしょう?慣行として「先生」という敬称が付くポジションにいる人が「先生」と呼ばれるときの感覚もにたようなものです。 これに対し、慣行上「先生」という敬称が付くポジションにいる人があえて「
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