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ブックマーク / allatanys.jp (5)

  • 森 まゆみ - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    性描写規制と表現の自由(1/3) 2010年、わが属する出版およびメディアの世界にはいいことはなかった。毎年毎年、自分のの出版部数も減っていくばかりである。読者から「いつも図書館で読んでいます」というファンレターが来ると苦笑してしまう。  それは仕方がないとしても、立派な社屋をもち、社員には高給をはらっているような大出版社でも著者に対し原稿料や印税率を下げてきたりするのは死活問題だ。最近、インタビュー取材を受ける場合、写真をメールで送ってくれと言われることが多い。これは写真家のしごとがより少なくなっていることを示す。校正、デザイン、イラストなど出版や新聞の周辺で働く人々、嘱託、アルバイトの人々の暮らしも厳しくなっているだろう。会社を守ろうと必死のあまり、外部のフリーの人々を切り捨てていくようなやりかたでは士気は萎え、いっしょにいいものを作っていく気持ちにはなりにくいであろう。同一労働、同

    zakinco
    zakinco 2011/01/02
  • 加来 耕三 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    「人権」を知らなかった明治人を笑えるか(1/2) 誤解を恐れずにいえば、日人はいまだ明治の初期に輸入された、「自然法」の意味を、心底では理解していないのではあるまいか。  千葉景子・法務大臣の立ち合いのもと、死刑囚2人の死刑が執行された。 新聞では死刑をめぐっての存続・廃止の論評が喧(かまびす)しいが、2月の内閣府世論調査では「場合によってやむを得ない」も含めて約86パーセントの日人が死刑を容認している。 この感覚は、明治時代初期に「拷問を廃止すべきかどうか」で議論されたプロセスと実に似通っている。当時の日人は大半が世上の暴力行為や国家への反乱を憂え、拷問も晒(さら)し首も当然のことだ、と考えていた。 ○「自由」「権利」「平等」を知らなかった明治人 明治維新を迎えた頃の日には「人は自由なものとして生まれ、生存し、かつ権利において平等である」 と高らかにうたいあげられた、西暦

    zakinco
    zakinco 2010/08/04
    昭和20年まで日本は絶対主義の国家だったのだから、人権が理解できなくてあたりまえだろう。
  • 加来 耕三 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    zakinco
    zakinco 2010/08/04
    『明治12年(1879)に当時の元老院は正式に拷問を廃止した。彼らは納得していたのではない。不平等条約改正のために、いわば方便で拷問、晒し首をやめたにすぎない。』
  • 森 まゆみ - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    アイルランドで日を考える(1/4) 5月、アイルランドに行った。2週間かけて車でゆっくりまわった。  アイスランドの火山噴火による煙でヨーロッパの空港は閉鎖されひやっとしたが、二、三日前にやっとダブリン空港も再開したということであった。 北海道くらいの大きさの島である。人口は450万。ほんとに、人より羊や馬の方を多く見た。レンタカーを駆ると実に雄大な景色である。山の中を行くと赤茶けた山肌に低い灌木が続く。緑なすゆるやかな牧草地帯もある。海辺はどこまでも石。モハーの断崖も息をのむ絶景だったし、世界遺産ジャイアントコーズウェイあたりも岩また岩である。 ○「アラン」の世界 そのむかし、ドキュメンタリーの名作といわれる「アラン」を見た。1934年制作、監督ロバート・フラハティ、アイルランド西岸沖のアラン島に住む素朴な半農半漁の生活を描いたものである。素朴ではすまない。自然と戦う厳しい生活とい

    zakinco
    zakinco 2010/06/09
    『これは江戸時代から続く考えではなかろう。近代に入って土木産業で食う人が多くなり、それが官僚や天下りと結びついてこうした構造になってしまった。「かつて山紫水明といわれた国土がどうなっているか』
  • 伊藤 元重 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    国債残高急増のリスク(1/3) 日政府の発行している国債残高が急速な勢いで増えている。対GDP比で見た日の公的債務の規模は先進国では断トツ1位で、海外で日よりも高い債務比率の国はアフリカのジンバブエだけというような状況である。  それでも日の公的債務は、日国民の貯蓄で支えられているので大丈夫だという議論がある。金融機関の貸し出し先が細っていることもあって、預貯金で集めた資金の多くが国債運用に回っている。国民の潤沢な貯蓄資金がある。しかし貸し出し先が少ないので資金があまっている。だから国債へ資金が流れている。その結果もあって国債価格はかってないほど高い水準になっている。つまり国債利回りはかつてないほど低い水準になっているのだ。 ○国債はバブル、個人の購入は低水準 経済学者はこうした状況を国債バブルと呼んでいる。政府がこれだけの債務を抱えているのに国債が高値で取引されているというこ

    zakinco
    zakinco 2010/03/15
    個人が賢いから国債が買われていないのではなくて、金融機関が手数料少ないので買わせないだけだと思う。真面目な人はせっせと貯金してるし、欲深い人は金融機関にのせられて投資信託とか買ってるっぽい。
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