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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (4)

  • 理解という許容 - kom’s log

    われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある。そういった態度の紋切り型の一つに従えば、「何が起きているかを説明しようとすれば、少なくとも広島長崎のLSS調査の統計的な手法とその解釈を理解し、測定誤差や精度の理論、内部被曝の臓器モデルなどあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが、放射線の健康に対する影響の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば、健康被害に注がれる疫学的眼差し、つまりは集団レベルで記述された健康被害に対して観察者(同時に被害者)という個人が保っている距離を維持することに貢献するのである。言い換えるなら、福島原発の事故以後の出来事が証明しているのは、「理解することは許すことだ」とい

    理解という許容 - kom’s log
    zakinco
    zakinco 2012/06/24
    『まずは「理解」を宙吊りにし個人の立場から憲法の定める生存権を侵害された被害者であることを明示することでしか根本的な批判ははじまらないだろう』
  • 近況 - kom’s log

    ー 無珍先生はかなり言葉をしゃべるようになってきた。ドイツ語と日語のごたまぜ。単語をふたつならべてしゃべる感じである。それでも結構なコミュニケーションがとれるので、なかなか楽しい。ただ、朝まだこちらが寝ているときにダイビングで飛び乗ってきて「パパ起きた、パパ起きた」と騒ぐのは心臓がでんぐりがえるので勘弁してほしい思う。散歩の帰り道には家の近くにあるジェラート屋の前をとおるかなりて手前から「アイス、アイス、アイス」と催促する。一番少量のセットである三つほどの玉のアイスクリームのうちひとつを自分で選び3ユーロで買って、手をべたべたにしながら自分でもって家に戻り、ご満悦でアイスクリームをべる。アイスクリームはあまり好きではなかったが、付き合ってべているうちになんとなく好きになってきた。 ー 6時半頃家にかえってからのあそびの催促はたいへんなもので、寝てしまう9時過ぎまで私はなにもできない。

    近況 - kom’s log
    zakinco
    zakinco 2011/11/07
    『放射線被爆に耐えることは国の指針であり、国民の義務なのだそうである。教育、納税、勤労に加えて、被爆。このような発想の人間を前に絶句』
  • 三回忌 - kom’s log

    6月の終わりから7月のはじめにかけて日に行った。用事はいろいろあったのだが、もっとも重要だったのは3月末にしそびれてしまった無珍先生の母親の三回忌である。震災がある前に飛行機の仮予約などもすませて、義理の妹ともども三人で3月末に日に行く予定だったのだが、原発がどうなるかわからなかったので、震災の数日後にはキャンセルした。そんなわけで、他の用事にあわせて3ヶ月遅れの三回忌になったのである。 無珍先生が三回忌にいないのもなんだよなあ、としばし迷ったものの、わざわざリスクを負わせる必要はないだろう、と思って結局連れていかなかった。我々をとても気にかけている(我々、というか無珍先生である)こちらの友人一同にしてみれば、もし連れて行くならば「感情的な行動」と映るだろう。日の方々はしらんかもしれないが、国連によるリスク評価によれば原発事故後の日は紛争地帯に相応するリスクレベルなのである。3月に

    三回忌 - kom’s log
    zakinco
    zakinco 2011/07/23
  • ボクタチの闘争 - kom’s log

    「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基的な態度をとるべきなのである。 同じではないから、対話が必要なのであり、理解できる部分とできない部分を見極め、合意を形成し、ボトムラインの線引きを行う。ここからここまでは合意に達しましたね、ということで。同じ人間はそもそもありえない。同じ、ということはありえないと絶望しつつも合意が形成できることに僥倖を感じつつそこに社会関係がうまれる。 たとえばこのあたりにみられるように大騒ぎしている某府知事。バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。人がたと

    ボクタチの闘争 - kom’s log
    zakinco
    zakinco 2010/05/31
    『このメッセージは、時間軸を捻じ曲げている。直訴した高校生は被選挙権を得る年齢まで雌伏し、はれて政治家になって日本を変えてから高校に再入学せよ、という無理難題』『通常このような反論は屁理屈と呼ばれる』
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