オマーン旅行 2024 2024年のゴールデンウィーク前半はオマーンの首都マスカットに旅行に行ってきたのでその旅の記録を書く。 GWに妻が子どもを実家に連れて帰るとのことで、5日間の自由時間が手に入ったので、ここぞとばかりに海外旅行行きを決めた。 なぜオマーン 5日しかなく、複数国を…
わが子しか見ない「モンスターペアレント」の実情とは 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News 隣のモンスター - すべての夢のたび。 モンスターペアレントについてのAFPの記事に、「モンスターペアレントは治療すべきだ」という感想がついているのを見かけた。“これはもう、病気じゃないの?”、と。 このような感想をお持ちになるのも、確かに不思議なことではないと思う。実際問題として、「毎朝家まで子どもを起こしに来てほしい」「翌日の天気を調べて傘が必要かどうか知らせてほしい」などと要求されては学校というインフラはまともに成立する筈が無い。また、他の子との兼ね合いを考えても、それは無理筋である。 恐ろしいことに、こうしたモンスター○○の話は近年では全く珍しくなくなってきている。子育て真っ最中の父兄、地域の大人、教職に就いた友人、そして心療内科の現場……どこででも一律にこういった話を耳にするし、その
振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分を差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力で仕事と家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。 父
http://nereidedesign.jugem.jp/?eid=203 真央の方が難しい技をしているのに、どうしてこうなるのか? これのブクマコメントざっと見てて思ったが あんま無邪気に「陰謀なんてあるわけねーw」な反応もいかがなものかと思う。 事実フィギュアスケートはソルトレイクにやらかしてるし、まあ正直可能性がないとはいえない。 といって証拠があるわけでもないので、一般人としては「何かあるならちゃんと調べてくれよ」と願うしかないし、決め付けるには早いとは思うのだが。 で、「そういうルールなのは分かったけど、じゃあなんで浅田真央はそれにあわせなかったの?」的な疑問も見受けられるが、あわせなかったんじゃなく合わせられなかった。 今季浅田真央はルッツも3-3もいれてないが、そもそもどちらも普通に出来ていた。 ざっくばらんにいえば、ここ2年ほどで回転不足判定やエッジ判定が滅茶苦茶厳しくな
【気軽に連絡シル!】TEL:090-2033-5444 メール:egachan★gmail.com Skype:hiroru123 【運営】非モテSNS/pimote 【連載】えがいコラム 【紹介】えがちゃん参上! たまには時間があるのでおいら流の”若手”の仕事の楽しみ方を書いてみます。 (おいらも、社会人そろそろ5年目になるのそろそろこういうの書いていいっすよね?w) 社会人1年目をむかえてよく聞く言葉「学生時代のほうが楽しかった」 「俺は死ぬほど寝ずに仕事がんばってる、超すごいでしょ。」 「飲み会が大変、、、」 「人間関係がうまくいかない、、、まじで仕事に集中できない」 「うちの会社厳しすぎ、ブラック企業だよ」 「上司の人がダメな人なんだよ〜。。。俺、転職考えようかな!」 とかよく聞きますが、、、、 正直、、、 世間一般のサラリーマンって、普通にそんな感じなんだよ
A.マズローの欲求階層説は、そのシンプルさのせいか、インターネットのライフハック記事・自己啓発書・ビジネス書などにしばしば引用されている。そのなかでやたらとクローズアップされるのは[承認欲求]と[自己実現欲求]という言葉だ。これって、おかしなことじゃないでしょうかね? マズローの欲求階層モデルは、[1.生理的欲求] [2.安全の欲求] [3.所属欲求] [4.承認欲求] [5.自己実現欲求] という風になっている。このうち、[1.生理的欲求] と [2.安全の欲求] は、衣食住が足りている人であればそれほど問題無いと思うし、だから気にする必要も無いだろう。 しかし、[3.所属欲求] [4.承認欲求] [5.自己実現欲求] に関しては、衣食住が足りればそれでオーケーというわけではなく、人間関係のなかで充たされなければならない。[4.承認欲求]などは特にそうだろう。だから、コミュニケーション能
サービス内容にクレームをつけてくれるお客様はとても有難い存在です。 ほとんどの不満を持つお客様は、黙って契約解消して競合他社に流れるだけ。わざわざクレームを出してくれるお客様は、たいへん希少、そしてそのクレーム内容は宝の山です。サービスの改善や経営戦略の方向を決めるにあたり、お客様からのネガティブな情報ほど役に立つものはないのです。 クレームというのは宝の山です。 逆に、「いつも利用させてもらってありがとうございます」なんてメールはゴミです。情報量ゼロ。せいぜい数をカウントして顧客満足度の指標に役立てるくらいの価値しかありません。メールフィルタするならむしろお礼メールの方でしょう。こんなゴミを有難がる企業はそれだけで危ない匂いがします。 もちろん、お客様からつけられた難癖にすべて諾々と従えと言ってるのではありません。対応できるものは対応して、受けられない話はガンとして拒絶するまでです。貴重
本音で「会社に入って働きたい」と思える人間は、面接に受かる。 本音で「本当は働きたくないけれど、お金を貰うためその他の理由で、仕方ないから面接を受けてる」と思ってる人は、面接に落ちる。 現代において、それは極めて公平なこととされている。 しかし、ワーキングプアについて研究している人々(湯浅誠とか)はそう考えない。 人間の本音、すなわち思想・信条は社会の影響が極めて大きい。 思想・信条によって個人を峻別するシステムは、思想・信条が原因で働けないのは本人の自己責任である、という社会的認識の表出であり、かつその認識を強化している。 その結果、本来は社会的要因である思想・信条等の理由によって働けない人々が、働けないのは自己責任であるという社会的認識によって、誰にも救われずワーキングプアになってしまう。 彼らはそう考えている。 私にはどちらが正しいのかわかりません。
同僚にAさんと言う、本当に”良い人”なのになぜか周囲から好かれていない人がいます。 例えば、皆から煙たがられている上司の話をしている時でもAさんは決して悪く言わず、”○○さん(上司)だって悪気はないと思うのよ”とか取りなすように言います。 同じ状況の時に、Bさんは”もうう~~!あの人(上司)には頭きちゃった!”と言いますが、Bさんの方が人気者です。 又、同じく同僚にCさんというちょっとおっちょこちょいの人がいて よく失敗し、ある人が”Cさん、又やらかしちゃったんだって”と 言うと、Bさんは”ほんと!?まったく~Cさんらしいわ!”と言って ケラケラ笑うのに対し、Aさんは ”でもCさんも一生懸命頑張っていると思うわ”とか言います。 Bさんは思った事をスパスパ言うけど、嫌味がなく 面白くて明るい人です。あと、ちょっと子供っぽい感じもします。 Aさんは文字通り 本当に”良い人”なのに、なぜか彼女が
いつの時代にも恋愛相談は尽きませんが、最近よくみかけるのは「モテるにはどうすれば良いのか」「モテない自分をどうすれば良いのか」というタイプです。それどころか、「どうせモテないなら、どうすれば平穏に過ごせるのか」なんていう恋愛相談すら、最近では見かけるようになりました。 けれども、これって不思議だと思いませんか?ちょっと昔だったら、 ・「○○さんが好きだけど、どうアプローチしていいのか分からない」 ・「○○さんを好きになってしまった。どうすればいいのか。」 こういう恋愛相談がもっと多かったと思うんですよ。それか、『電車男』の「めし どこか たのむ」みたいに、デートのhow toみたいな相談も多かったかもしれません。いずれにしても、既に意中の女性なり男性なりがいて、その人と恋仲を深めるための相談が多かったと記憶しています。 ところが、惚れた後の相談なんて今日日は流行らないみたいで、「モテたい」
日本を脱出しようとか盛り上がってるし、どうしようもない閉塞感があるって、普通のブロガーからいわゆる知識人までそう言う。 そういうのを目にしたり耳にすると、そうなんだなぁって落ち込んだりする。未来がないように思える。 でもさ、今の世の中って最高だよ。この時代に生きていてよかった。 テクノロジーってゆっくりと、でも着実に進化するから、それに僕らは気づかない。 資本主義社会はじわじわとその網の目を発達させてるからそれに気づかない。 ふと見渡せば、あらゆる自由が可能になっている。 かなり世の中はいい方向に進んでて、それを今の時代に生きている僕らは享受できる。 何十年か前まで個人で勝手に海外に旅行するなんて無理だった。 それが今ではネットでそこの情報を簡単に調べられて、ひょいっと行けちゃう。 ガンジス川に行こうと思い立った次の週にはインドに行くことができる。 しかも航空費も安くなってるし、どこなら安
ここ最近、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを、いつまでたっても抱えている男女がそこらじゅうに溢れています。つまり、全能感を捨てきれない大人達が増えているわけですが、彼らが全能感を維持するメカニズムについては、あまり取り沙汰されていないようです。 この文章では、全能感を維持したい・いつまでも子どもの王様のままでいたい人にありがちな、二つの処世術を確認してみます。 1.自分が得意な分野で、全能感を何度も確認する ひとつめは、ごくオーソドックスな方法。 自分の優秀さや自分のバリューを確認しやすい場所で、それを反復的に確かめる、という方法です。ここに書いたように異性をひっかけて自分の価値を確認する人もいれば、ネットゲームやtwitterで優秀さや有能さを確かめたがるタイプの人もいます。この際どこでもいいから、とにかく自分が優秀でいられそうなフィールドをみつけ、自分
ちっぽけな人間が、無数に生まれて無数に死んでいく。 そのこと自体に意味があるのかどうかは、私には分からない。 しかし、そのちっぽけな人間の一人一人にとって、“自分自身の生が無意味である”という認識が、寂しくて耐え難いものだというのは私にも分かる。だから、自分自身の生に意味づけをし、生き甲斐やレゾンデートル(raison d'etre:生きている意味)を与えてくれる“命綱”のような存在を私達はありがたがる。世間を見渡せば、それらにしがみつく人達の姿で溢れているわけだが、“他人事”と笑って済ませるのは難しい。 日本では、20世紀の後半ぐらいから、生き甲斐やレゾンデートルを求め、自分自身の生に意味を見出そうとする人が増えてきた。昨今、こうした生き甲斐やレゾンデートルに相当するものを提供するビジネスがビジネスとして成立してしまうのも、要は、それらを必要とする・それらを欠いていると感じている人が、そ
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51153958.html (※画像へのリンクは、http://image.blog.livedoor.jp/blv42/imgs/f/9/f97a6dae.jpg) リンク先は、2ちゃんねる界隈では有名な「ガイアが俺にもっと輝けと囁いている」である。描かれているファッションには賛否両論あるにせよ、ファッションに賭ける熱情のようなものが伝わってくるフレーズだ。 さて、有名な「ガイアが…」に隠れて目立たないものの、その右隣のフレーズもかなり凄い。 シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか? by 山口(27) これを、中二病だとバカにするのは容易い。けれど、思春期のうちはそういう気持ちでチャレンジしたほうが、かえって色んなことが経験できるし、思い出もつくりやすいんじゃないかとも思う。若いうちは、“前のめりの没頭”というの
好感を持たれたいとか愛して欲しいという気持ちが強くあるみたいだけれど、自分は特定の誰かに好感を持ったり、愛した事はあるのだろうか。 「好感を持たれるというのがどういう事か」「愛されるという感覚はどんなものか」それを正しく理解しているんだろうか。それを相手に伝わるように表現できるのだろうか。 好感を持たれるというのが具体的にどういう事かを知らないせいで好感を持たれている事に全く気付かず、それを見過ごしているという事はないだろうか。 もしくは、「好感を持つというのはこういう事だ」という基準が他人と違いすぎていて、好感を持たれているにもかかわらずそれを全く感じられないという事はないだろうか。 他人と「好感」「愛情」の周波数が違っていて、正しく送受信できていないという事はないのだろうか。
この文章を、いま15歳を迎える日本人たち(1995年生まれ)に向かって書く。それ以上の年齢の人たちは読まなくてもかまわない。読んだ結果何かを感じるかもしれないが、それはこの文章の趣旨とは関係ない話だ。 君がもし、大学に行くことを考えているのなら、日本の大学はやめたほうがいい。日本の大学を卒業しても、専門知識はろくに身につかない。大学3年生のときから、「就活」という世にもくだらない非生産的な活動にエネルギーを注がなければならないからだ。激しい競争を潜り抜けて、大企業に就職できても、それは約束の地などではない。日本の大企業は中高年によって支配されていて、若者の意見は黙殺される。それでも、中高年の社員が賢ければいいかもしれない。実際のところ、彼らは論理的思考力を欠いている。考えてみてほしい。彼らは、日本の経済がまだ繁栄していたころに就職した人たちだ。当時の大学はレジャーランドだった。真面目に勉強
仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電
“使えない奴”を足切りする為の面接テクニックについて(d:id:p_shirokuma:20090111:p1) まあそういうことなのだろうと思うので、採用御担当はどんどん実践していただきたい。面接官のやってることがほとんど精神分析みたいなことなので興味を持った、という感じでしょうか。 しかしここで語られるテクニックは、恐らく素人にも感覚的にわかるようなことであって、要するに、こいつなんかきめえ、一緒に仕事したくない、というのは世間話してればわかるじゃないですか。それを分析的に書くとこうなる、という点においては非常に参考になります。 回答から透けて見える、その人の価値観や生活状況。外部へのアウトプットや他人とのコミュニケーションよりも、自己満足を重視するような価値観の持ち主であれば、それが透けて見えやすい。 こういうのは、面接直前に付け焼き刃的に勉強しただけでは身に付きにくく、日常生活の態
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