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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (4)

  • 0506 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    どんな仕事も自分でやってみないと、その仕事のコツもツボも難しさも抜け道もわからない。ぼくも雑誌をやってみて、花森安治の独創的な仕事ぶりの何たるかがちょっとはわかった。いや、そのつもりになっていたことがあった。 ソ連大使館の奥のほうにあった東麻布の編集室をたずねたこともある。忙しそうに女性スタッフたちが動いていて、オカッパの花森安治さんが、そのときはスカートを穿いていなかったが、ぼくの質問に面倒くさそうに答え、それから「ああ、あと小一時間もしたら編集会議をやるから、それを聞いていきなさい」と言われた。 編集会議は花森ショーのようなものだったが、そういう感想はよくない。スタッフが抱えるすべての問題に独得の指針を与えていたというべきだろう。まだ20代の後半だったぼくは片隅でぼうっとして、その説明力が微にも細にもわたっていくのを、いつ質問がこちらに飛んでくるかとびくびくしながら見とれていた。 そう

    0506 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    zbih
    zbih 2014/05/31
  • 1534夜 『ハッカーと画家』 ポール・グレアム − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1534夜 『ハッカーと画家』 ポール・グレアム − 松岡正剛の千夜千冊
    zbih
    zbih 2014/03/24
    おぉ、先月松岡正剛が書評してた
  • 1296 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    理解の秘密 マジカル・インストラクション リチャード・ワーマン NTT出版 1993 Richard Saul Wurman Instruction Anxiety 1993 [訳]松岡正剛/訳:杉俊雄・前田啓子 知識と情報。予測と戦略。仕事と市場。 編集とデザイン。説明と納得。理解の秘密。 80年代、これらを一緒に語れる者がいなかった。 そこに一陣の風を吹かせたのが リチャード・ワーマンだった。 アンダースタンディング・ビジネスを提唱し、 新たなソーシャル・キャピタルが 「理解」にこそあることを早くに指摘した男だ。 ぼくにとっても、ワーマンは懐かしい師であった。 いま、約15年ほど前の書を紹介するのは、 今日こそインストラクション能力が 日社会に蘇生するべきだと思うからである。 世界の半分はインストラクションで成り立っている。これがワーマンの口癖だった。ということはコミュニケーショ

    1296 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    zbih
    zbih 2014/03/17
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    zbih
    zbih 2014/03/07
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