であるとしたら、世界はいずれドーナツの穴で埋め尽くされることとなる。 誰かこの概念を否定しなければ世界は大変なことになるぞ。
『今日は楽しかったです、またお会いしましょう』 画面に浮かぶ文字を見つめる。何故こんなことになってしまったのかと記憶を手繰りながら、スマホを充電器に繋ぐ。 そうだ、あれはTwitterでゆるく繋がっていたソシャゲのオフ会の話が出たのだ。いつも何となくリプライを飛ばしている4~5人で集まろうということになり、飯を食ってきたのだ。ちょうどハロウィンだからと仮装をして来るように言われ、みんな簡単な浮かれた格好をしていた。俺も仮装して俺の無様な顔が晒されないならと了承したのだ。幸い街中も浮かれまくっていて、カボチャのオバケだらけだ。俺はアカウントに因んで量産されている囚人服を着ていった。それで済むならよかったのだが。 隣に座った女がなんか馴れ馴れしかった。違う、好意を持っているという奴なのだろう。俺みたいなのに声をかけるなんてメンヘラなんだろう。面倒くさいと思ったのだが、女から声をかけられるなんて
数年前、午前2時過ぎにバイト先の居酒屋から徒歩で帰宅する最中だった。当時10代だったわたしの足で、すすきのから札幌駅方面の自宅まで30分ほど。 平日深夜だと言うのに、市電通りの横断歩道を渡っても駅前通りは結構人が多かった。 カラ館前を通り過ぎようとしたら、路上でスーツを着た40〜50代くらいのおじさん3人が大騒ぎしていた。タクシーとタクシーの間、路上というよりは車道だった。 「酔っ払いは嫌だなあ」とチラリと視線を向けると、明らかに様子がおかしいおじさんが1人いた。見るからに意識がない。 周りのおじさん2人は、路上に座り込んで意識のないおじさんを呂律の回らない口で笑っていた。近くにいた客引きの女の子は仕事中だがおじさんの介抱するべきかチラチラと視線を送っていた。 おじさんは、転んだ時に頭をぶつけたようで、路上は血の跡で若干濡れていた。顔色は、夜でもはっきりわかるほどにみるみると真っ白になって
NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』が終わった。素晴らしい朝ドラで、当分余韻が消えそうもない。本作は、東日本大震災から10年の節目に震災後の東北を描いたドラマでもあり、そこにはさまざまな困難もあっただろう。 しかし「非当事者がいかに震災後の東北に向き合えるか」は、まさにこのドラマが問いかけたテーマそのものだったのではないだろうか。ここではヒロインのモネがその問いにどう答えたのかを中心に、改めて『おかえりモネ』を振り返っておきたい。 これまでにない「無力なヒロイン」 モネ(清原果耶)はわかりにくいヒロインである。少なくとも従来の元気で明るい優等生的なヒロインとは一線を画す。考え込むシーンも多く、元気はつらつというよりは、むしろ悩み多きヒロインだったと言えるだろう。というのも、モネはわだかまりを抱えた人物として登場するからだ。 モネは東日本大震災の当日、たまたま父の耕治(内野聖陽)と高校の合格
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