支那を中華など称することについては、紛々たる議論あれども、余は差支えなしと思う。諸国自ら美称を用うるは、当然のことにて、日本というもまた美称の意なるべし。しかして、かれよりは、我が国を日本国と称するなり。ただに国のみならず、人々自家の名をえらぶもまた、美称を用うることなり。他人これを呼ぶを恥づるものなし。 松平定信『退閑雑記』への西園寺による書き込みより。 松平定信は「漢土のことをさまざまに称して、中華中土などいうはこのまず」という立場だった。これに対する西園寺の見解はまことにもっともである。
聖戦に召されて逝かれた貴方に、何故か知ら心がひかされますのよ。召された貴方にかうも想ひを寄せるのは悪い事でせうか、私にはわかりません。どうしたらよいのでせう。 石塚寿子 いったいこれは何かというと、昭和16年5月に発行された単行本『娘の言葉』(夏目智恵子編、希望の窓社刊)に収録されている、乙女のつぶやきなのです。 国会図書館にも所蔵されていないので、もしかして偽書か?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、現物が手元にあるので、ホントに当時出ていた本なのであります。 で、なんというか、上に挙げたような、筆舌に尽くしがたい軍国乙女のつぶやきが、ムリョ数百本も収められているのであります。 永遠の宇宙に与えられた生命! 奇蹟ではないか私の生命の実在! なんか、見てはならないものを見てしまった感があります。昭和16年の乙女は、こんな宇宙的な感慨にふけっていたのであります。 ふとこんな事を思った。メ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く