16日告示の衆院島根1区補欠選挙では、原発稼働も焦点になっている。この選挙区は推進派の代表格だった故細田博之氏の地盤で、中国電力が8月の再稼働を見込む島根原発(松江市)がある。ただ、先の能登半島地震では住民避難の限界が露呈。その中で行われる補選は細田氏の後継に加え、脱原発を主張してきた元職が出馬を予定する。推進派の牙城で能登の教訓がどう判断されるか。各地の脱原発派も注目する。(曽田晋太郎)
16日告示の衆院島根1区補欠選挙では、原発稼働も焦点になっている。この選挙区は推進派の代表格だった故細田博之氏の地盤で、中国電力が8月の再稼働を見込む島根原発(松江市)がある。ただ、先の能登半島地震では住民避難の限界が露呈。その中で行われる補選は細田氏の後継に加え、脱原発を主張してきた元職が出馬を予定する。推進派の牙城で能登の教訓がどう判断されるか。各地の脱原発派も注目する。(曽田晋太郎)
あまり知られていない、あるいは忘れられてしまった重要な事実がある。約13年前に起きた福島第一原発の事故で最大の危機とされたのは水素爆発や漏れ出た放射性物質による被ばくではなく、4号機の核燃料を保管するプールだった。プールの水が干上がれば1535体の核燃料が溶けだし、膨大な量の放射性物質が人々が暮らす環境中に放出され、東日本に人が住めなくなると予測された。その危機を食い止め、暴走する原発を安定化させるに至った背景には、ある中国企業の「善意」があった。 津波に流された夫、叫んでくれた「私の名前」 胸に刻んで13年 #知り続ける その光景は現場で事故収束作業にあたった人たちの脳裏に今もこびりついている。2011年の3月12日と14日、15日に起きた福島第一原発の水素爆発。吹き飛ばされた無数のコンクリート片が地上に砕け落ち、大量の放射性物質が周囲に撒き散らされた。死と隣り合わせの状況下で、原子炉建
Published 2024/01/30 21:03 (JST) Updated 2024/01/30 21:53 (JST) 石川県が北陸電力志賀原発(同県志賀町)の重大事故時の避難ルートに定めた国道や県道計11路線のうち、過半の7路線で能登半島地震に伴う崩落や亀裂による通行止めが起きたことが30日、共同通信の集計で分かった。2月1日で発生1カ月となるが、一部で寸断が続く。また、原発周辺9市町の住宅被害は2万件超。屋内への一時退避も組み合わせ、30キロ圏外へ確実に逃げる計画の実効性が揺らいでいる。 30キロ圏内の輪島市と穴水町では、道路が寸断し1月8日時点で8集落435人が孤立状態となった。避難計画は再稼働に欠かせず、原子力規制委員会の指針に基づいて自治体が作り、政府が了承する。規制委は指針見直しを検討しており、原発のある各地の自治体に議論が波及する可能性がある。 指針は、原発から5キロ
レビュー プレート境界で長大な活断層が動いたトルコ大地震 もろい建物を直撃し、犠牲者3.5万人を超える 2023.02.14 内城喜貴 / 科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員 トルコ南部で2月6日の午前と午後、それぞれマグ二チュード(M)7.8と7.5の大地震が発生した。トルコ周辺は日本と同じく4つのプレートが複雑に入り組み、震源はプレート境界付近の断層にひずみがたまりやすい地域だった。今回もプレート境界にある長大な活断層が大きく動いたとみられ、強い揺れがレンガ造りで老朽化したもろい建物を直撃。多くの建物が倒壊し、多数の犠牲者を出してしまった。 国連など国際機関や各国が緊急救援活動を続けているが、トルコと隣国シリアでの犠牲者は日本時間14日午前段階で3万5000人を超え、歴史的な大惨事になった。犠牲者は今後さらに増えると強く懸念される。世界保健機関(WHO)はトルコ、シリア両国で約2
Twitterにおいて、食塩(tableSalt0117)さんと議論になりました。お返事が長くなり、またTwitterの仕様上、やり取りがわかりにくくなりますので、詳細にはついてここでお答えいたします。まずは、食塩さんと名取宏(NATROM)の会話をTogetterでまとめました。漏れがないようにはしていますが、もし、漏れがありましたらご指摘ください。 ■食塩さんと名取宏の対話。主に過剰診断について。 - Togetter 以下、斜体は食塩さんのご発言からの引用です。食塩さんは、ここのコメント欄でもTwitterでも、どちらでお返事をなさってもかまいません。また、食塩さん以外の方でも、ご質問がある方は、コメント欄に書き込んでくださってかまいません(できればコメント欄のほうがありがたいです)。他の方々にも参考になるように、重要な部分は強調いたしました。 >「エビデンスはある」とおっしゃるんで
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まとめ本文内に津波が押し寄せる映像などがありますので心に障る方はご注意ください。 現状60kmほど離れたトンガ王国に津波や噴煙が到達してる模様。 現地が夜になった事も有り情報が更新されないという不穏な状況ですが、人的被害が出来る限りない事を祈ります。
今日15日(土)の20時から21時過ぎにかけて、日本全国で一時的な気圧変化が見られました。火山島フンガトンガ・フンガハアパイが午後に噴火した時の衝撃波が到達した可能性があります。 気圧変化は関東や伊豆諸島など日本列島の南東側から始まりました。ウェザーニュースが独自に全国3000箇所に設置している観測機、ソラテナによる気圧変化を見ると、一旦は気圧の上昇(赤色の表示)が起きた後、すぐに気圧の下降(青色の表示)が起こり、同心円状に伝搬している様子が現れています。概ね2hPa程度の変化です。 これは衝撃波に特有の加圧(気圧上昇)→減圧(気圧下降)を捉えていると推定されます。 今回の衝撃波によって何らかの影響が出ることはないとみられますが、今回の火山噴火の規模が大きいことを示す現象です。
10年前の3月11日、私は民間任用(2年満期)の内閣審議官として、メディアが立ち入れぬ首相官邸の最奥部で、事態の渦中に居合わせていた。 そんな人間の1人として、テレビ各局の「3・11」10年関連特番を見ていて、特に心揺さぶられた番組が2つあった。1つは、日テレの金曜ロードSHOW!「Fukushima50」(去年の劇場公開とは違った意味で) 。 もう1つが、NHKのETV特集「原発事故 ”最悪のシナリオ”/その時誰が命をかけるのか」。 ーーーそれらについてちょっと書こうかな、と思っていたら、奇しくも同じ2番組を挙げて先にコメントしている人が、意外な所にいた。 フランス「リスク・危機研」研究員の賞賛と憤慨フランスの「リスク・危機研究センター」(Centre de recherche sur les Risques et les Crises)の一員として、3・11以降たびたび来日し、福島原
なぜ「SPEEDI」は活用されなかったのか? 10年前の東京電力福島第一原子力発電所事故(福島原発事故)の発生当時に、大きな関心を集めたシミュレーションシステムがあった。放射性物質の拡散を計算できる、SPEEDIこと「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」だ。 SPEEDIは事故発生直後から稼働していた。しかし、その計算結果は事故対応に当たっていた首相官邸にも、被災地にも、そして広く社会全体にも適時適切に届けられることはなかった。政府による意図的な隠ぺいであったとして、大きな論争が展開されたことをご記憶の読者も少なくないだろう。 本稿で筆者は、福島原発事故後に行った共同研究をもとに、この「SPEEDIの計算結果はなぜ適切に活用されなかったのか」という問いへの回答を試みる(関心のある方は、一般の方々向けにまとめた報告書がある。ぜひご覧いただきたい)。 筆者らの見解は、それは意図的な隠
Published 2021/03/11 07:30 (JST) Updated 2021/04/01 12:46 (JST) 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から、11日で10年を迎える。新聞社の政治記者として、当時の菅直人政権の対応を取材した者として、あの日と、そこから菅首相の退陣までの約半年間は、10年がたつ今でも、強い痛みとともによみがえる。 あの時菅直人政権に向けられた、憎悪にも似た国民の非難は、政権交代後も安倍晋三前首相らの手で「悪夢の民主党政権」と何度となく繰り返され、十分な検証もなく国民にすり込まれていった。 「戦後最悪の国難」になすすべもない中、多くの国民が怒りの矛先をすべて政治に向けたことを、全く理解しないわけではない。だがあの時、政治には比較対象がなかった。未熟な民主党政権だから対応がまずかったのだ―。そんな批判に抗する材料もなかった。 10年後の今、改めて考え
「NARUTO」「黒子のバスケ」「銀魂」「BLEACH」。部屋に並ぶのは、500冊以上の『週刊少年ジャンプ』。一番古いものの表紙をめくると、そこにはすでに連載が終了した名作マンガが並んでいる。2011年3月以降に発売されたジャンプ。連載の移り変わりが、月日の経過を静かに教えてくれる。津波の甚大な被害を受けた宮城県名取市であの日の出来事を「語り部」として伝え続ける丹野祐子さんはあの日、閖上中学校1年生だった息子・公太さんを津波で亡くした。【BuzzFeed Japan / 千葉雄登】 【漫画】震災後、おもちゃ屋から消えたものとは 体験談を描いたマンガが話題に 丹野さんは今も、公太さんが愛読したジャンプを毎週買い続け、書棚に並べる。 そして、我が子と義理の両親を失うという辛い経験を掘り起こし、語り続ける。 それは、あの日の自分たちの姿をありのままに語ることで、聞く人だけでなく、自分にも思いを刻
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