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historyとmangaに関するzerosetのブックマーク (5)

  • 『戦争は女の顔をしていない』コミック版について、個人的補遺 - MINITRUE

    スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』の小梅けいとさんによるコミック版、1巻が先日発売となりました。僕も監修という形でお手伝いしています。多くの方に買って頂いているそうで、当に嬉しいことです。 www.kadokawa.co.jp ところで、発売前から「コミック版は『可憐な女性兵士のけなげなエピソード集』『泣けて感動する話』として『消費』されてしまうのではないか」と危惧するご意見がありました。発売後もよくお見かけします。これはまったく正当な懸念です。 漫画というのは情動を刺激するメディアであり、まさにそこが強みです。強調するにせよ抑制するにせよ、ほぼ全ての漫画家はそこに自覚的です。おそらく誰が描いても感動物語になり得るでしょう。 そして、僕はこの作品で泣いたり感動したりエピソード集として楽しんでも別にいいのだろうと思うのです。自分の情動を止めることなどできますまい

    『戦争は女の顔をしていない』コミック版について、個人的補遺 - MINITRUE
    zeroset
    zeroset 2020/02/01
    事実を元にした作品を鑑賞するにあたって、とても重要なポイントだと思う。”想像力の例を提示しているのだ……と僕は思っています。”
  • トップページ - マトグロッソ|イースト・プレス

    るびー 『スイートホームinニューヨーク』 ニューヨークの「春夏秋冬」を通して、が好きすぎる夫とコミュ力高めの幼い兄妹との大奮闘の毎日を描いた『スイートホームinニューヨーク』。6月11日発売の単行より先行公開です!

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    zeroset
    zeroset 2019/04/18
    17世紀、私掠船の乗組員ウィリアム・ダンピアの物語。絵が素敵。好み。
  • 「真田丸」で関ヶ原、余裕のスル―。その前の「小山評定」をみなもと太郎、司馬遼太郎はこう描いた - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    的に、真田一族がその場に居合わせなかった場面は描かれない…という原則を提示されていたものの、それでもおもいきった描写であった。 さて、関ヶ原より前の「小山評定」は、信幸が居合わせたというエクスキューズ(史実だろうか?)で、けっこう描写されていましたね。 (それでも、あっさりといえばあっさりだったけど) で、この前 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160904/p1 や #真田丸 見ました。 みなもと太郎がギャグにしたこの場面を、もっと感動的に描いたという感じですね。 家の分裂でなく「保険としての両軍所属」「勝敗が決した後の相互救援」に重点を置く描き方でも、作家によっていかようにも変わる。 pic.twitter.com/sNbIJKHv7x— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2016年9月4日 にて、三谷幸喜がリスペクトを公言す

    「真田丸」で関ヶ原、余裕のスル―。その前の「小山評定」をみなもと太郎、司馬遼太郎はこう描いた - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    zeroset
    zeroset 2016/09/12
    あの関ヶ原40秒で終了、のシーンを見て真っ先に思い出したのが、大阪の陣を「合戦は……」「終わった……」で処理しちゃった見開き二枚。
  • 「姑娘」水木しげる著

    水木しげるが後年、中国出兵していた人物から聞いた体験談を元に描いた短編作品。姑娘(クーニャン)とは、中国語で若い未婚女性、お嬢さんといった意味である。 第二次世界大戦中、中国侵略を進めていた日軍のある分隊は、小さな村へと侵攻、ある家に女性物の下着が干されているのを発見したことから、狂気にかられ始めていく・・・ 「姑娘を捕虜として部隊長の前へ出せば「殊勲甲」まちがいなしというところでしょう!」そう部下が進言し、分隊長も「どうやら敵もいないようだし・・・・・・こうなったら姑娘ひとりでもつれてかえらなきゃあ手ぶらでかえるわけにもいかんな!」その部隊の暗黙の了解として、中国人女性の略取が日常化していたかのように描かれている。 かくして分隊長以下若い女性「姑娘」探しに奔走。ついに、彼らは村長宅で息を潜めて隠れている村長の娘を見つけ出し、懇願する村長夫婦を一喝して、強引に彼女を連れ去っていくのだった

    「姑娘」水木しげる著
    zeroset
    zeroset 2015/06/08
    「記憶するとは、悲劇と不正に寸断された(dismembered)生のかけらを拾い集め、何かしら完全なものに再び組み入れる(re-member)ことである」物語ることに意味があるとすれば、まさにこれだと思う
  • 桃栗八年、柿も八年

    zeroset
    zeroset 2005/07/12
    ヤマタノオロチがナナマタノオロチで無い理由
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