■チベット遊牧民強制移住 <生態移民>■ カム地方ミニャック・ラガン地区の幹線道路沿いに立てられた巨大看板。日本語訳「(伝統的移動牧畜をやめ)定住プロジェクトは1000年の飛躍、その恩恵を忘れず末長く安定した社会を共に建設しよう」。 ■焼身者の過半数は遊牧民 焼身者の半数以上は遊牧民、またその家庭の出身者である。故にチベットの遊牧民の状況を知ることは焼身の背景を知るためにも重要なことである。人民解放軍の「建国の父」とも評され、当時元帥主席、国家副主席であった朱徳は1956年、「(チベットの)全ての遊牧民は、社会主義改革と社会主義社会の建設を容易にするために、定住しなければならない」という布達した(チベット亡命政府報告書)。 この時期、東チベット、東北チベットでは「民主改革」の名の下に「集団農場化」が進められていた。この集団化の目的はなにも遊牧民や農民を豊かにしようというものではなく、単に管