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ブックマーク / ultrabigban.cocolog-nifty.com (2)

  • ブログジャーナリズムなんて必要なのか?----相次ぐ惨状に関して - BigBang

    ジャーナリズムがブログを使ったくらいで何か別の価値を持てると考えること自体が、大いなる錯覚なのではないか。 確かに読者との相互コミュニケーションや、記事をアップするときのスピードなどなど、既存のメディアに比べて優れているところはあるにはある。しかしそれらは、どれも「ツール」としての利便性にしか過ぎず、質的な問題とは無関係ではないか。 「ブログブーム」に乗っかり、Web2.0などと「持ち上げられ」、一時は過剰な期待を背負ったサイトが次々と失速している現状の中に、何か共通の問題点のようなものが、透けて見えていると言っては言い過ぎか。それははっきりとは僕も形には出来ていないのだけれど、「ツールと価値を転倒している」ことと、「現場感覚の欠如」が、その要因であるように思う。 ブログを使うジャーナリストは、どこまで言っても「ブログを使うジャーナリスト」にしか過ぎないのであり、そのこと自体に特別な価値

    ブログジャーナリズムなんて必要なのか?----相次ぐ惨状に関して - BigBang
    zi1ch
    zi1ch 2006/05/08
  • 囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。 - BigBang

    若年層の正社員採用がほとんどない世の中である。もしかしたら、同じような経験をしたことがあるのかもしれない。じっとトレイを持ったまま辛抱強く待っている若者の集団に「みんな意外に優しいなあ」などと思ってしまった。 日人は優しいのではないか、と思うことがよくある。それに辛抱強い。大したものだと思うのは、ハプニングがあったときにも、そう簡単に声を荒げることはない。もちろん例外はいるが。多くの場合、辛抱強く待ち、時にはそのトラブルの主に何とか手を貸せないものかと思案していたりする。外国人がみな優しくないなどと言う気は毛頭ないが、老若問わず、耐えて方向を探る国民性なのだろうなあと思う。もちろんこれも良し悪しなのだが。 さて、しかし。しかしである。話は甘いままでは終わらない。 互いに顔が見え、年がわかり、互いの困難が見える範囲で優しい国民性も、匿名になったとき優しいままでいるとは限らないようだ。以前に

    囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。 - BigBang
    zi1ch
    zi1ch 2006/02/15
    これらの者たちは、もしも中国に生まれていれば街頭で日本大使館に石をなげていたであろうし、イラクに生まれていれば星条旗を焼いて踏みにじっていただろう。しかし日常は心優しき父であり、息子であり娘かもしれな
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