200人以上の死者が出る「平成最悪」の水害となった西日本豪雨。被災地の地元メディアである山陽新聞が「生かされなかった教訓」を伝える。4河川8カ所の堤防が決壊し、甚大な浸水被害を受けた倉敷市真備町地区。被災した住民たちへの取材で、未曽有の災害の実態に迫る数々の証言を得た。平屋の本堂は基礎部分の土が削り取られ、つんのめるように傾いている。普段は地中にあるはずの排水管が幾本ものぞく。倉敷市真備町有井。西日本豪雨の深い爪痕が残る「大日庵」境内だが、その墓碑は倒壊を辛うじて免れていた。「溺死群霊之墓」だ。 1880(明治13)年、末政川の堤防が崩れ落ち、28戸が押し流された。33人が犠牲になり、弔うために建立した―。墓碑にはそんな内容が刻まれ、かつての水害の歴史を伝えている。 真備町地区では西日本豪雨による堤防の決壊が4河川8カ所に及び、このうち末政川は西岸1カ所、東岸2カ所で確認された。現在の川幅