今回は以心伝心(いしんでんしん)です。 言わなくても気持ちが伝わること、かな。 そうです。もとは、仏教の禅の言葉です。フクザツな言葉や文字では伝えることの出来ない奥義を伝えることを以心伝心と言ったのです。 言葉や文字では伝えられない? 言葉や文字の組み合わせや行為によって、考えるヒントを与えることで伝えるような感じですかね。言葉に直接頼ると、その言葉の間違った面で伝わってしまうかも知れませんから。 禅っぽいな。とにかく、言葉じゃなくて伝えてたんだ。 出典は「禅源緒詮集都序」でした。
今回は才色兼備(さいしょくけんび)です。 才能も、見た目も素晴らしいヒトだね!! そのとおりです、そしてこの言葉は、女性に使って下さい。 そうなんだ、兼備は、かねそなえる、だね。 男だったら? 文武両道(ぶんぶりょうどう)だと、見た目が抜けちゃいますね。 眉目秀麗(びもくしゅうれい)だと、見た目だけになっちゃいますね。 容姿端麗(ようしたんれい)も、見た目だけですね。 眉目秀麗、頭脳明晰(ずのうめいせき)ですかね。 四文字だとないのか。 良い所を2つだけあげる時に、男性は優先度として見た目が入らないんですかね。 女性の方が、美しさが大きいってこと?それいったら、それ男の責任じゃない。 あ、そうなっちゃいますね…。 出典はわかりません。
今回は華燭之典(かしょくのてん)です。 結婚式だね!おめでたい。 そうですね、でも自分の結婚式に使ってはいけません。他者の結婚式をほめる意味で使って下さい。 例えば? お2人が華燭の御盛典(ごせいてん)をあげるに至ったことは、まことにめでたく、みたいな感じで。 御盛典とも言うよね。華燭って、花燭って書いてあることあるけど。 どっちでもいいんです。燭は照明用の光、火のこと、又は昔の光度の単位です、Cって書くのですが、英語で蝋燭のことをCandle(キャンドル)と言ったのが語源です。 じゃあ、華燭は、華やかな明かりのことか。結婚式には欠かせないね。 そこから転じて、婚礼自体を指すようになったんですね。中国にもあった言葉で、樺のともし火は消えないので縁起が良いとされ、華燭と呼ばれました。それが語源とも言われますが、 日本では華燭といえば、会津の絵ろうそく、のことを指します。蝋燭に美しい絵が描いて
今回は多情多恨(たじょうたこん)です。 尾崎紅葉の小説じゃないの?明治時代の作家だね、金色夜叉の方が有名かな。 さすがですねぇ、それで有名になった言葉ですが、出典ではありません。 それより前からあるんだ。 意味は読んで字のごとく、情が多く、恨みが多い。要するに感情の深い人ですね。 愛情が深すぎて、憎しみも深い、みたいな。 まあ、そういうことですね。 出典はわかりません。
今回は蓋棺事定(がいかんじてい)です。 かんをおおいてことさだまる、棺おけに入るまで、人の評価と言うものは分からない、ということだね。 そうですね、だから、カンタンに諦めてはいけないよ。ってことです。 まあ、分かりますけども、にわとりさんは評価自体気にしてないね。ああ、にわとりさんが世界一なのに、みんな気付いてないなぁ、ってだけのことさ。 何が世界一なんですか? みりゃ分かるでしょ!かえるさんも、まだまだだなぁ。”にわとりさん度”が世界一だよ、他のヒトの、にわとりさん度の低いこと低いこと。 ま、まあ、みんなそんなにメンタル強くないですから、他者の評価も気にするでしょう。だけど、最後まで諦めちゃダメよ、ってことなんですね。もう一つの意味は正当な評価は、死後に決まる、という意味もあります。 出典は「晋書」、杜甫の詩でした。
今回は男尊女卑(だんそんじょひ)です。 現代では、問題発言のレベルだよね。にわとりさんは、レディファーストだから大丈夫。意味は男を重視し、女性を軽んじる、考え方、風習だね。 この言葉は、列子にある言葉なのですが、始皇帝より前の戦国春秋時代の人と言うことで、まあ、この時代では普通のことでしたから、文章自体も、「オレには何も無いけど、男に生まれただけでもまあ良かったかな。」程度の意味のようです。 いかにも、男の方がエラいぞ!!みたいな感じじゃないんだ。けっこう弱気だね。 そうなんです、でも、言葉は、男を尊び、女性を卑しい、と書くわけですから、現代では受け入れがたいですね。使い方としては、男尊女卑は良くないよ、って使い方になると思います。または、昔の風習を指す使い方ですね。 出典は「列子」でした。
今回は深謀遠慮(しんぼうえんりょ)です。 字のままだね。深い謀(はかりごと)、遠くおもんばかる。よく考える、ということだね。 そうですね。 あ、でも、遠慮って、ヒトに対して、控えめな態度をとることでもあるでしょ。 遠慮は、もともとは字のままで、遠くおもんばかる。要するに、先々のことまでよく考える、という意味が先にありました。今でもこの使い方でかまいません。深謀遠慮の場合この意味です。時代はかなり古く、出典の「文選」は紀元前の中国の本ですし、孔子も論語で、遠慮なければ必ず近くに憂い有り。と書いています。 遠慮の、ヒトに対して控えめにするという意味は、江戸時代からです。 余計な話ですが、遠慮という刑罰が江戸時代にありました。僧侶や、武士に課せられたもので、外出禁止なんですが、夜、目立たないように出入りすることは差し支えなく、病気や火事のときも出入可だったということです。 でも、それも、先を考え
今回は謹厳実直(きんげんじっちょく)です。 くそまじめなことだね。 それもありますね、クソまじめ、のクソ、と言うのは、ちょっとバカにしているような意味もありますね。基本的には、ほめ言葉ですが。 そして、謹厳は、読んで字のごとく、慎み深く、おごそかなこと、実直は、律儀(りちぎ)、誠実、正直、なことです。まじめで立派な人間のことでもありますね。 謹厳実直すぎて、つまらない。という使い方も、できるし、謹厳実直ですばらしい人間、とも使えるんだよね。言葉は、正しく使っても、相手の受け取り方もあるから難しいな。 そうなんです。言葉は正しいだけでは、使いこなしている、とは言えませんね。 ほめるつもりで使っても、違う意味でとられるかもしれない、だから、裏の意味も知っておけば、フォローもしやすいか。 そのとおりだと思います。 勤勉実直って言葉もあるよね。 よく働き、まじめである、と言うことですね。 出典はわ
今回は後生大事(ごしょうだいじ)です。 とっても大切にすることだね。 そのとおりです。もともとは仏教用語なので、極楽へ行きたいから、現世で善行を積む、ということです。 でも、極楽なんて、あるかわからないじゃん。 そう考える人もいますよね、そこから転じて、くだらないものを大切にする、という意味にもなります。 そして、死んだ後の極楽を一心に願うこと、でもあります。 だから、色んな印象があるのか、どの使い方でもいいんだ、そのかわり、バカにしたような意味だと思う人もいるから、使い方が難しいね。 気をつけたいですね。ちなみに、「後生」は、後の世にうまれかわること、その世界のこと。 一生に一度のお願い、みたいな意味で、後生だから、頼みますよ、なんて使い方もしますね。 出典はわかりません。
今回は慇懃無礼(いんぎんぶれい)です。 慇懃って? とっても、ていねいってことです。親しい交友、も指します。慇懃を重ねる、なんて使います。 無礼は無礼でしょ。礼を欠くこと、失礼なこと、だよね。 正反対でしょ。どういう意味? ていねいすぎて、失礼なことです。又は態度がていねいな様で、実は見下している、という意味もあります。 あーなるほど、ていねいすぎてダメって? 例えば間違った敬語とかですかね、二重敬語とか、ご覧になる、を、ご覧になられる。とか。 え、それだめなの!? かえるさんは、気にしませんが、二重敬語はビジネスではアウトですね。ご覧、が敬語で、なられる、も敬語ですからね。 じゃあ、知らない間に慇懃無礼してるかもしれないんだ。 あと、無礼講ってありますよね、慇懃講ってのもあるんです。 へ~。無礼講は、身分を忘れていいから、慇懃講は、きちんと礼儀正しい集まりだ。まあ、普通だね。 そうなんで
今回は老馬之智(ろうばのち)です。 古い馬は頭がいい、ってことかな。 そこから転じて、先人の言うことは参考にしましょう。経験を積んだヒトは優れた知恵をもっている。ということですね。 昔、道に迷ったヒトが老馬は一度通った道は覚えているから、と馬を放ち、付いていったので無事に帰ることが出来た。という故事があるのです。 覚えてた馬もすごいけど、自分は分からないけど、馬なら分かるはずだ。って思うヒトがすごいな。 実はこのヒトは、古代中国の斉の国の管仲(かんちゅう)という、大変頭の良いヒトです。三国志で有名な諸葛孔明をほめる時、管仲と楽毅(がくき)にも勝るとも劣らない人物と言いますが、その管仲なんです。 じゃあ、頭のいい人は、人の知恵を借りる大切さを知っているエピソードにも聞こえるね。 そういう意味では、馬が日頃の恩返しをして、主人を救った、という考え方もあるみたいですよ。 故事から考えると、いろい
今回は大同団結(だいどうだんけつ)です。 いくつもの、団体や人が一つの目的に向かって力を合わせること、です。政治の世界などで、よくあることですね。 大同って、だいたい同じってこと?大同思想ってあるよね? 孔子ですね、「礼記」の言葉です。大同団結とは違いますね、大同思想と言うのは、人々が争うことなく、おのおの適切な役割を与えられ、私利私欲の無い、公平な世の中のことで、一言で言えばユートピア思想ですね。 それは、実現できないでしょ、自分の能力にあった役目でも、ほかのヒトに従いたくない、って思う人が必ず出てくるもの。 言いかえれば、それをガマンするのが理想の世の中だと、孔子は考えたわけですね。 そうか、争いが無い、というのは誰かにガマンを強いることなんだね。 大同団結(だいどうだんけつ)の大同は、小さい違いは気にせず力を合わせることですから。 混同すると判らなくなっちゃうかな、でも、孔子の大同も
今回は勇往邁進(ゆうおうまいしん)です。 いかにも強そうだけど、勇往?往なんだ。猛じゃないんだ。 ちょっと聞きなれないですよね、でも、勇往も邁進もまあ、だいたい同じ意味なんです。勇往邁進は、勇ましく、ひるまず進む、と言う意味です。 往は、行く、と言うような意味でも使いますでしょ。往診(おうしん)、往復(おうふく)とか。 ああ、たしかにそうだ、使ってるね。じゃあ、勇往は勇ましく行く、ってことか。 そうです、さらに邁進なんて、邁も進もすすむ、という意味ですから。 ああ、だから、すごく、進むから、わき目もふらず進む、って意味になって、そこから、ひるまず、おそれずに進む、という意味になるのか。 じゃあ勇往邁進は、いさましく、いく、すすむ、すすむ。ってことだ。そう考えるとわかりやすいね。 そうなんです。実行は、なかなか出来ない事ですが。 何かをする前の決意の時点では、そう思うけど、一つつまずくと終わ
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