「外国では黒いマスクをつけていても何も言われない。日本の感覚が非常識」 仕事で知り合った20代後半の女性が食事の席で酒を飲みながら声を荒げていた。「思い出しただけで腹が立ちます。上の世代の人は感覚が古いんですよ。白いマスクのほうがダサいじゃないですか。なんで怒られなきゃいけないのか意味が分からないです」。 あわせて読みたい→ 「BIGBANG」V.I.が芸能界引退を発表…日本国内では惜しむ声も - IMPRESSION 女性はある大手企業の受付嬢として働いている。話を聞くと、通勤で会社に向かう途中で最寄り駅から黒いマスクをして歩いていた際、出くわした50代の男性上司に「黒いマスクなんてみっともないからやめろ。お客さんが見たらどう思う?同じ会社の人間としても恥ずかしい」と注意されたという。女性は通勤の時だけ黒いマスクをつけて、勤務中は外すつもりだった。「外国では黒いマスクをつけていても何も言
僕の狭い観測範囲の話なので、一般的な事実と乖離していたら申し訳ないけれど、最近の若い人たち(30代くらいまで)は成長することに必死すぎるように見える。もちろん、成長することはいいことである。成長を目的のひとつにすることも否定しない。ただ、成長することに必死すぎる状態、あるいは、成長「だけ」が目的になっているような人たちが多すぎるように見えるのだ。勉強会やセミナーに参加して、SNSで学びや気付きに関することを呟き、人生の目標をプロフに謳っている若者たちは本当に多い。個性をうたっているのが没個性的なのも悪い冗談みたいだ。義務でやってるようにも、焦っているようにもみえる。僕の経験からいって、成長したい、結果を出したいと焦ることに意味はない。むしろ、成長することが目的になってしまうことは恐いことだと考えている。手段が目的になることのすべてが悪いわけといっているのではない。目的化した成長には無理無駄
大学院で研究をしている。 大所帯の研究室だが、自分がやっているのはその中で小さなベンチャー企業みたいな感じ。 そのベンチャーみたいな構成員は、僅か6人。 先生やポスドクは論文書いたり、書類や会計で忙しいらしい。 実質的な研究奴隷で手を動かしているのが4人。 だが、圧倒的に成果を出している研究室の中での、圧倒的に結果を出してる組織だ。 自分は、恐らく、研究でいい成果は出せないと思う。 というか、気力がホボ折れかけている。 研究室にたどり着く前に、人生辛いことがありすぎて、もはや余生みたいな感じで生きている。 ようやく人生の勝負所にたどり着いたと思うけど、もう体力もやる気も人間性もホボ尽き欠けている。 研究に身が入らない。半分、研究とは関係ない趣味に走っている。 でも、趣味もないと研究だけだと多分、卒業までできずに狂ってしまうとも思うから、いいと思う。 アスペみたいな先輩が結構キツイんだけど、
日清食品の創業者、安藤百福(あんどうももふく)さんが世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を作ってから、昨年で60周年。NHKの朝の連続テレビ小説「まんぷく」の影響もあり、チキンラーメンは過去最高の売り上げを記録したそうです。日清食品は1971年に「カップヌードル」を発売。いまやスーパーやコンビニには、ラーメンだけでなく、うどんや焼きそば、パスタなど、さまざまなカップ麺が並ぶようになりました。 【画像】この4年間、毎朝カップ麺を食べ続けている山田浩さん 大阪狭山市に住む会社経営者・山田浩さん(58歳)は、遠方への出張時などを除き、毎朝、カップ麺を食べ続けています。「朝カップ麺」を始めてから、はや4年。通算1000食以上は食べています。なぜカップ麺を食べ続けるのか。山田さんにその魅力について聞きました。(渡辺陽) ――フェイスブックに毎朝、カップ麺の画像とコメントをアップしていますが
「ガイジンなのに日本人の名前かよ」。その客は、コンビニで働く彼女の胸の「藤原」と書かれた名札を見て言いました。その瞬間、彼女は心がぎゅっと固くなり、なんとも言えない感覚に襲われました。「ガイジン」。幼いころから、繰り返し繰り返しぶつけられてきた、このことば。私はいつになったら“ガイジン”じゃなくなるんだろう。外国にルーツを持つ、19歳の苦悩を聞きました。(ネットワーク報道部記者 木下隆児) パキスタン人の父親とペルー人の母親の間に生まれた神奈川県に住む星玖藤原愛紗さん(19)。日本生まれ日本育ちです。 「ガイジン」。このことばを最初にぶつけられたのは小学1年生の時。当初はなんのことか意味がわかりませんでした。たぶん、悪意はなく、冗談だったんだと思います。 でも、その光景は今も忘れることはできないといいます。戸惑う愛紗さんに、何度も何度も、笑いながらそのことばをぶつけてくる友人たち。そして、
女性のスマホの画面。死の前日の昨年8月15日に「何時来るの?」と夫に付き添いを催促。容体が悪化した翌16日午前7時50分、「とう(父)たすけて」と読めるメールを送ったのが最後になった=2019年2月10日午前8時43分、東京都内で斎藤義彦撮影 「とうたすかかか」。スマートフォンに残されたメールの平仮名7文字は、助けを求める最後のSOSだったのか。公立福生病院(東京都福生市)で明るみに出た「死」の選択肢の提示。亡くなった腎臓病患者の女性(当時44歳)の夫(51)が毎日新聞の取材に胸中を明かした。 「(死亡から)半年過ぎてもダメ。何とか気持ちの整理はつけたつもりだけど、だいぶ引きずっている」。そう夫は明かす。同じ団地に住んでいた女性と知り合って約30年。結婚後は3人の子どもを2人で育てた。女性が人工透析治療を始めてからは医療機関への送り迎えなどで支えた。 昨年8月9日、病院から突然呼び出された
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