ブックマーク / ujikenorio.hatenablog.com (2)

  • 書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。 - ujikenorio’s blog

    一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、読了。戦争で開催中止になったことはあるが、夏季オリンピックの開催都市が自発的に大会を返上したのは第12回東京大会(1940年)以外にない。書は招致から返上に至るその経緯を克明に描き出す。94年NHK出版刊行の文庫収録。 近代オリンピックの歴史は、対IOCだけでなく、国内問題としても、かなりの部分が政治との闘いの歴史でもある。1940年東京オリンピックも例外ではなさzい。皇紀2600年慶祝のイベントは猛反対から始まったが曲折の末、冬季大会も札幌と決まる。 日の侵略主義が開催ボイコットに直結するが、肝心の競技施設を準備せず開催意欲だけ先行した立候補が仇になる。日中戦争の拡大で競技場建設がストップし、開催か中止かの岐路に立たされる。「たかがスポーツの大会」としか考えぬ軍人たちはプロパガンダに利用したナチス以下の

    書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。 - ujikenorio’s blog
    zu2
    zu2 2014/05/19
  • 2013-02-11

    - 在特会に「思想」は存在しないし、その活動は「レイシズム」以外の何ものでもない。言葉の暴力をためらいもなく浴びせるが、しかし、彼らは特異な人々ではない。「『フツー』としか形容する以外にない」「あなたの隣人」なのだ。著者の指摘に留意しつつ、評者は哲学者アーレントの「悪の陳腐(ちんぷ)さ」という言葉を想起した。ユダヤ人大量殺戮(さつりく)を指揮したナチの戦争犯罪人の裁判に臨んだ彼女は、被告人が典型的な極悪人ではなく「普通の人々」であることに注目した。「人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者の心のなかに潜(ひそ)む小さな憎悪が、在特会をつくりあげ、そして育てている」。 彼らの罵声(ばせい)と苛立(いらだ)ちの気分は別の世界に実在するのではない。「私のなかに、その芽がないとも限らない」。目を背(そむ)けることのできない戦慄(せんりつ)すべきルポルタージュである。 −−拙文、安

    2013-02-11
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    zu2 2013/02/11
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