2017年7月5日のブックマーク (2件)

  • 毎朝会うあるお母さんには頭が下がる、という話 - ちーちー

    住んでいる場所が割りと辺鄙なところなのて、移動手段は100%車。通勤も買い物も送迎もぜーんぶ車。結婚するまでは関西の二大都市へ電車20分で行けちゃうという好アクセスの所に住んでいたので、どこへでも電車。真逆の場所に住んで3年ほど経った頃、人生初のガサガサかかとになりました。パンスト破れる並みのやつ。全く歩かんからな~。どんだけ車乗っとんねん。 題に入る前に1つ。 私はこのとっても好きなブロガーさんのこのエントリがとても好きなんです。 zuisho.hatenadiary.jp 私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない。僕はこの言葉を目にした瞬間、泣きたくなった。僕が、こうありたいと思うのは、まさしくそういうことであった。態度で示すしかないと思っていたことが、言葉として自分の目の前に現れることは、なんとこうも頼もしい。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない。当にそう思う

    毎朝会うあるお母さんには頭が下がる、という話 - ちーちー
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2017/07/05
    言及された
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

    発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2017/07/05
    俺は病院に行くと何かしら名前をもらえるのかも知らんが何かしらの枠に収められることなくよくわからん馬鹿として生かしてもらえてよかったと思う。/人間は区別しないと配慮できないし、区別と差別は紙一重なのかな