2003年、アメリカはイラク戦争を「衝撃と畏怖」と命名した。1996年にアメリカで発行された同名の軍事理論の研究書名に由来するのだそうだ。戦争をいかに短期間で終結させるかを研究した内容で「核兵器を使用せずに、広島と長崎への原爆投下が日本人に与えたのと同等の衝撃を敵に与えれば、戦意を奪い」早期に戦争を終結させることができる、などと論じられているという。 アメリカはまさにイラクはおろか全世界を「畏怖」させたかったに違いない。58年前、日本は広島への一発でアメリカに「畏怖」してしまった。ポツダム宣言受諾による「無条件降伏」である。 そのアメリカの畏怖作戦に服さなかったただ一人の日本人がいた。賀川豊彦である。国家存続のためにあらゆる屈辱を飲み込む覚悟を決めた日本で、厚木飛行場に降り立ったばかりのマッカーサーに敢然と意見したのだから普通でない。この賀川の思いを新聞の一面をつぶして提供した当時の読売新