1982年生まれ。高校1年時よりネット上での翻訳活動を始め、以来、パブリックドメインになった文芸の各種翻訳を共有作品として提供しつづけている。現在は翻訳研究(Translation Studies)を進めるとともに、フリーランスの翻訳家・執筆家としても活躍中。
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1982年生まれ。高校1年時よりネット上での翻訳活動を始め、以来、パブリックドメインになった文芸の各種翻訳を共有作品として提供しつづけている。現在は翻訳研究(Translation Studies)を進めるとともに、フリーランスの翻訳家・執筆家としても活躍中。
1998年12月23日 公開 2011年11月20日 最終修正 はじめに 著作権とはなんだろう 青空文庫では、いろいろな人が書き表したさまざまな作品を、コンピューターで扱えるファイルの形に整え、インターネットを通して読めるようにしようと考えています。 それぞれの作品には、書いた人の考えや思いが込められているはずです。作者にとって、表現は自らの分身でしょう。 そんな作品の一つ一つを、私たちは大切に扱っていきたいと思います。 資料としての価値や証言としての意味など、作品を収録する意欲を育てるいくつかの動機の中でももっとも大きなものは、内容への共感と作者への尊敬でしょう。加えて私たちには、自分自身を大切に扱ってもらいたいという願いがあります。その思いはひるがえって、人にもていねいに向き合おうとする姿勢を、手繰り寄せるでしょう。 青空文庫にかかわろうとする人は誰も、「大切に」と思う気持ちを共有でき
小説家、児童文学者。広島市猿楽町に生まれ、九歳で母を失う。東京帝国大学文学部英文学科在籍時、私淑する夏目漱石に送った「千鳥」が、夏目の推薦を得て「ホトトギス」に掲載される。大学卒業後、一時、中学校教師を務めたが、「小鳥の巣」「桑の実」などを発表、小説家としての評価を高める。娘「すず」のために、子供の読み物をあさったことをきっかけの一つとして、童話への関心を抱くようになり、1916(大正5)年、童話集「湖水の女」を出版。以降は、児童文学に集中する。1918(大正7)年7月、児童文芸誌「赤い鳥」を創刊。芥川竜之介、有島武郎、小川未明、島崎藤村、新美南吉等、当時活躍していた作家に執筆を働きかけて、子供たちに質の高い読み物を提供しようと試みる一方、子供達からの作品を求め、誌面で紹介。「赤い鳥」は、生活綴り方の源流としての役割も果たした。 「鈴木三重吉」
今年も青空文庫の誕生日である7月7日がやってきました。 今日までその活動を27年間地道に続けて来られたのは、実作業で支えてくださった多くのボランティアのみなさんと、収録された作品をさまざまに楽しみ、その可能性を広げてきてくださったユーザのみなさんのおかげです。 あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。 さて、2023年1月1日から継続して進めて参りました「式年遷宮」ですが、ようやく新規データベースサーバの引っ越しの目処がつきました。 元旦でお知らせしていた本日7月7日からの本運用には間に合いませんでしたが、この8月から実データを構築中の新データベースに移し、そして運用を試験して大きな問題がなければ、この秋には引っ越しを完遂したいと考えています。 (もちろん試用しながら都度バグフィックスを行う必要が生じますので、夏のあいだにタイミングを慎重に見極めなければなりません) ともあれ、お
僕は最近、はからずも屍体解剖を看るの機会を持った。僕の友人に、慶応の生理学の先生である林髞博士というのがあるが、この林博士は前から僕に屍体解剖を見物するように薦めてくれたのであった。僕はもちろん見たいには見たかったのだ。しかし困ったことに、いくら見たくとも、それは芝居や犬の喧嘩を見るように簡単にはゆかないのである。つまり胆力という問題、換言すれば、脳貧血になるかならぬかという問題が存在するため、手軽に「では見せて貰いましょう」というわけにはなかなかゆかないのである。 ところが最近、僕は思いがけないチャンスをつかんで、とうとう解剖の始めから終りまで見てしまった。お医者さまには一向珍らしいことではあるまいが、僕にはたいへん興味あることだった。それで僕は、素人としての印象記をここに録してせっかくのその日の記憶が薄れてしまうのを防ごうとするものである。 僕はその日、或る用件のため、或る病院で働いて
防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和
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