はじめに 相模原には現在アメリカ軍施設などがありますが、そのアメリカ軍施設がなぜできたのかを辿ると、太平洋戦争前に相模原を「軍都」とすべく計画があったことがわかります。 「星が丘」という地名は陸軍徽章の★に由来するとされ、戦前は陸軍の高官が1戸建てに住む地域でした。そんな相模原にできた軍施設を中心に、相模原の戦争時に関する歴史関係をご紹介致します。 突然の呼び出し 相模原は首都・東京から近く地価の安い平坦地が広がっていた。 1936年(昭和11年)6月27日、旧日本陸軍第1師団より呼び出しがあり、座間村、新磯村、大野村、麻溝村の各村長は、座間村役場に集合した。そして、陸軍経理部から来た川上三等主計正と高山一等主計と会議が開催される。 「陸軍士官学校と練兵場の用地を買収したいのでよろしく」と言う内容だった。 各村長はあまりにも突然の話なので驚き、地主とも相談したいと述べその日は解散した。 大