純倫理的なものというのは全人類共通の倫理として存在するんだろうか。 存在するんだったら、それによって否とされるものが政治的に是とされることはあるのかもしれないけど、存在しないんだったら必ずしも政治的文脈によって是とされるとは限らんよな。どっかの倫理かもしれんし。 うん、政治的って便利ワードだな。 論理的(どっちかというと理論的に、だと思うんだけど)にありうる、というのが倫理的な問題に帰結するのはその論理に政治的文脈が含まれているからなんじゃないかと思ったり思わなかったり。
はてなブックマークにおいては、ブックマークコメントにスターをつけて評価できることになったこともあるためかコメント率が最近高い(自分は常にコメント)。だからというわけでもないが、無言でつけられるブックマークがやけにかっこよく思える場合がある。その無言の奥に、「おい、見ろよおまえら」とか「これは何とも言えないぜ、やれやれ」とか「フッ」とか「俺がここにいるってことはどういうことだかわかってるよな?」みたいな、ややニヒルなかっこよさを感じることがある。考え過ぎか。
要約 本記事では、トリアージ批判派*1のうち、id:hokusyu氏を中心として「あたまがわるい」といった罵倒を行う人たちの言動の不誠実性を批判し、改めて必要な箇所への説明を求める。 はじめに 私がお説はごもっとも、しかし瀕死の重傷者を救わねばなりません - 吾輩は馬鹿であるを書いたのは、一つにはid:Apeman氏・id:hokusyu氏の両氏とid:HALTAN氏の間に生じている不毛な対立を傍目八目によって緩和できないかと考えたからである。 傍目には、両氏の言動は意図はどうあれ結果的にid:HALTAN氏を無為に挑発し逆撫でし、事態を収拾ではなくこじれさせる方に仕向けているようにしか見えなかった。そのように状況がこじれた原因は、HALTAN氏が本当に両氏の話を「理解できない」でいるのを、両氏が「理解を拒んでいる」と邪推したためにあると思えた。 しかし、傍目に見て両氏の議論は本当に「理解
ナチスの思想である民族社会主義がどういう思想であったかを非常に大雑把に述べると、それは「ドイツ民族、それも優秀なドイツ民族の繁栄」を世界のための崇高な目的とし人道性より優先する思想でした。 そして、その思想に基づいての合理的判断による人権侵害は同民族にまで及び、精神障害者や知的障害者は排除対象とされました。 そのように「ドイツ民族の繁栄」を人道性より優先した結果、下記引用文のようなことがなされたのです。 ユダヤ人に関する措置 ポーランドに進駐した特別出動部隊に対する一九三九年九月二一日付のハイドリヒの速達は、占領地域のユダヤ人に関して「計画している全措置、したがって最終目標を極秘にする」としていた。最終目標のために「まずやるべきこと」は、田舎から比較的大きな都市へのユダヤ人の集中であった。 ずべてのユダヤ人共同体に長老評議会を作らせ、移住に関し「全責任」をとらせて、移住命令に従わない者は「
今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…
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