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室岡克彦に関するtzccinctのブックマーク (3)

  • 佐瀬勇次 - Wikipedia

    戦前のアマ名人戦の県代表となる。1938年入門。軍隊生活を経験し、復帰後の1944年に四段となる。1946年より順位戦に参加。 1974年、日将棋連盟専務理事。 現役生活44年間対局不休、無遅刻の記録を続けながら1990年3月に引退。生涯成績は458勝599敗。 1994年3月、尿毒症のため死去。享年75。 人物[編集] 米長邦雄ら、多数の弟子を持ったことで知られ、名伯楽との評価が高い。 盤上では目立った実績はなく、内弟子の米長邦雄が、家の雑用などをしたときのご褒美の対局を「お断りします。師匠と指したら、師匠の癖がつき、師匠どまりの棋士になる」と拒否して、げんこつをらったという逸話もある[1]。また「私が今日あるのは佐瀬先生に一局も教わらなかったから」とも言っていた。しかし師匠としては人望手腕ともに卓越しており、米長は「師匠どまりになる」と言ってげんこつをらった逸話について「しばらく

    tzccinct
    tzccinct 2017/09/23
    少年時代の米長邦雄が「あんたに教わってたらあんた程度にしかなれない」といって鉄拳を食らった。…米長も口では「私が今日あるのは佐瀬先生に一局も教わらなかったから」と言いつつも師匠として深く敬っていた。
  • 室岡克彦 - Wikipedia

    振り飛車党の棋士であり、特に四間飛車の「藤井システム」を指すことが多い。 後手の藤井システムに対して、先手の居飛車が持久戦ではなく4筋からの急戦で来た場合、飛車と金の焦点に△4七歩(32手目)と打ち捨てる手を室岡が開発。これは「室岡新手」と呼ばれ、藤井システムに新たな命を吹き込んだ。室岡新手は、たとえば、2006年の名人戦七番勝負第4局で谷川浩司が指しており、藤井システムの家である藤井猛も採用している。 対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦で、図の▲3三角は室岡が最初に指した手で公式戦1号局は2002年2月21日の銀河戦▲室岡克彦六段-△勝浦修九段戦。1号局は持ち時間の短い棋戦だったということもあり全く注目されなかったが、2006年の名人戦で森内俊之名人が指したことで一躍注目を浴びることになった。▲3三角からは△4四銀▲同角成△同歩▲6六香△7二銀▲8二銀と進むのが定跡化されている手順で、

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    tzccinct 2017/09/09
    将棋の序盤研究資料を佐藤に提供しあうなど佐藤のブレーン的な存在でもあるとされる。また、佐藤の棋力をコンピュータ将棋に照らし合わせて「1秒に10億と3手読む」(「1億と3手」とも)と表現したのも室岡である。
  • 佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位座談会「創造の原動力」(2) #将棋情報局

    「新手」をテーマに佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位が大いに語りました。 (初出:将棋世界2015年7月号 段位・肩書は当時のもの) お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 (前回記事) スペシャリストの悩み ――謙遜されていますが、藤井九段は現在も角交換四間飛車の開拓をはじめ、さまざまな工夫を重ね続けています。 菅井 自分は角交換四間飛車を指す前に、藤井先生の棋譜をずいぶんと並べました。 藤井 そうなの? 並べて嫌になったりはしなかった?(笑) 菅井 嫌になったりはしませんでしたが、意味が難しい戦法だなとは思いました。いきなり藤井先生の将棋を並べたのがよくなかったのかもしれませんが。 藤井 僕が指している将棋は、どうも不人気ですよね。難しい上に、ご利益も少ない。同じ振り飛車でもゴキゲン中飛車がこれだけ人気なのは、言い方

    佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位座談会「創造の原動力」(2) #将棋情報局
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    tzccinct 2017/09/09
    自分側のところに「室岡」と書いてあって、相手側のところに「全世界」と書いてあるのですよ。
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